Aleatorio


好意をはね除けるのは、悪意に立ち向かうより難しいと思う。
いっそ嫌われた方が良かったなんて考えかけて、ジョセフは頭を振る。
やっぱりそれは厭だ。
少し離れた位置で女の子を口説くシーザーを盗み見たジョセフは、深い溜め息を吐いた。
「何だよアイツ…」
苦々しげな声と共に浮かぶのは三日前の出来事である。
息抜きだ何だとジョセフをバーへと連れ出したシーザーは、奢ってやるから好きなものを頼めなどと言ってやたら上機嫌に酒を口に運んだ。
良いことでもあったのか。
尋ねてもシーザーは口元を緩めるだけで答えない。
この女好きが男二人で飲んで、しかも店内の女の子達に声も掛けないなんて悪いものでも食べてしまったとしか思えない。
不思議に思いながらジョセフが頼んだピザを頬張っていると、シーザーの顔が普段より赤いことに気付く。
『シーザーちゃんったら、俺が見てない間にそんなに飲んだの?』
果たして彼は、この短い間に何度もグラスを空にしていただろうか。
答は、否だ。
強い酒を注文した様子も無いし、今夜ジョセフが把握している限りシーザーが溺れるような量では無かったはず。
体の調子が悪いのかもしれない。
ならば飲みに出歩くなよと言いたくなる口を噤む代わりに伸ばした手は、頬へ届く前に掴まれた。
『…ジョジョ』
聞いたことのないような声音で聞き慣れた呼び名が、目の前の男の口から紡がれる。
咄嗟に手を振り払おうと動いたのは、本能からくる危機感だった。
『わ、悪い』
反射的な行動だった為に、加減が出来なかった。
振り払われた手とジョセフとを交互に見るシーザーに慌てて謝る。
しかし、彼は謝罪に反応することなく、再びジョセフの手を取って甲に恭しく口づけた。
『ちょっと待った!女と俺間違えるくらい酔ってるとか冗談だろッ!』
有りえない光景にゾワリと肌が粟立つ。
ジョセフとて悪ノリすることはあるが、シーザーの眸が宿しているのは確かな劣情だった。
熱に浮かされた眼差しに、思わず息を飲む。
ジョークならお前の必死な面が愉快だったと言って早く笑ってくれ。
淡い期待も虚しく、シーザーは口づけた手を自らの頬に当て愛を囁いた。
『目を覚ませ、このイタ公が!』
硬直の衝撃から一気に目が覚めたジョセフは、傍らにあった水の入ったグラスを掴むなり思い切りぶちまけた。
そして、そのまま足早に店を出る。
氷入りの水を頭から被ったのだから酔いも冷めるに違いない。
忘れてしまうのがお互いにとって最良だ。
シーザーも同じように思ったもしくは、忘れたのだろう。
翌朝対面した際には、いつもと変わらぬ様子だった。
だからこそ、全部無かったことにしてしまえと思ったのだけれど、その後も違和感がジョセフに残った。
酔ったノリか、うっかり出た本音か。
「…んなわけねぇよな、あのスケコマシに限って」
白々しい台詞だと我ながら感じた。
あり得ないと否定出来ないのは、あの日を境に時折向けられる視線の熱さに気づいてしまったからだ。
だが、それ以外シーザーの様子に変わりはなく、相変わらず女の子を追いかけ回している。
「どっちなんだよ…」
はっきりしろともどかしく感じる一方、シーザーの想いが本物であったらどうしようと不安になる。
同じ眼で見つめられて、上手くかわす自信が無い。
答える気は無いが、向けられる好意をあっさり切り捨てるのも憚られた。
ジレンマを抱えるジョセフは、お前のせいだと恨めしげに元凶を睨み付ける。
その刹那、シーザーと目が合ってしまい、慌てて視線を逸らす。
これはまずい。
見ていたことが奴にバレてしまった。
今更、興味ないフリをしたところで誤魔化せる相手では無い。
自身の失態に苛立ちつつも、ジョセフは逃げるのが先だと慌ててその場から逃げ出した。
「此処までは追って来ねぇだろ」
路地裏に身を滑り込ませ、ホッと胸を撫で下ろす。
そもそもナンパの途中なのだから、ジョセフを追って来る訳がない。
「大体何で俺があんなイタ公から逃げなきゃなんないのよ」
「俺のこと呼んだか?」
ぶつぶつと文句を言ったのは、勿論誰かに聞かせたいからではなかった。
独り言で終わらなかったそれに、ジョセフはギクリと肩を揺らした。
「ゲッ…シーザー」
目の前に立ちはだかる男は、壁に手を突いて退路を塞いでしまう。
もしかしなくても、ピンチ。
サーッと顔を青くするジョセフに、シーザーの眼が細められる。
「お前、俺のこと見てただろ?」
「ヤダ。シーザーちゃんったら自意識過剰なんじゃない?」
視線が交わる前から気付かれていたとは、我ながらマヌケ過ぎる。
同時に、ジョセフが見ていることを知って女の子に近づいていたのなら、酷く悪趣味だと思った。
「言いたいことあるならはっきり言えよ」
「それはてめーの方だろッ!」
シーザーの責めるような言い草に、ジョセフは叫んでいた。
ハッとして口を押えるが、もう遅い。
「言ったら逃げるくせに」
「……」
核心を突かれ、ジョセフは黙り込む。
「分かってるんだろ、俺が酔って無かったことくらい」
「覚えてないね」
知らない。
忘れたし、分かりたくない。
「折角、人が逃げ道作ってやってるのに、煽るような真似すんなよ」
眉尻を下げて仕方ないとばかりに呆れた表情を見せるのが憎らしい。
思ってもいないくせに。
「…この嘘吐き野郎が」
逃がす気があるなら、あんな眼でジョセフを見ない。
行く手を遮って閉じ込めようとしない。
「そんな警戒すんなって。ほら、行けよ」
身構えるジョセフと不敵な笑みを貼り付けたシーザーが睨み合ったのは、時間にして数十秒。
先に折れたシーザーに大通りへの道を指差され、ジョセフは怪訝そうに彼を見た。
壁とジョセフとを閉じ込めた腕は、もう無い。
男の双眸からも熱情が嘘のように消え、まるで白昼夢でも見ていた気分になる。
「シーザー…?」
自分が覚醒していることを確かめる意味も込めて名前を呼べば、彼は苦笑いを浮かべてジョセフの頬にキスを落とす。
そのまま、耳元に唇を寄せて吐息混じりの声で囁いた。
それは、あの夜と同じ言葉。
「てっ、てめー!」
耳を押さえて仰け反るジョセフをシーザーは鼻で笑う。
「簡単に気を許すお前が悪いんだよ」
気を付けろと仕掛けてきた張本人が言うなと毒気吐いた。
とりあえず、意地の悪い表情を浮かべる男が油断ならないことだけは分かったから、今後は注意をするべきだろう。
頭を撫でて宥めようとするシーザーの手を叩き、浮かぶだけの罵倒を吐き捨てたジョセフは指を突き付けて口端を持ち上げた。
「てめーの思い通りになって堪るかよ」
宣戦布告。
それが余計に相手の心に火を点けるとは思いもしない。
「せいぜい頑張れよ。ジョジョ」
焦るどころか愉しそうなシーザーをジョセフは強く睨んだ。