愛しき猫の名は
【愛しき猫の名は】
最近、シーザーがどこか余所余所しい。
誘っても忙しいなんて軽くあしらって、そそくさと帰っていく。
怪しい。
「もしかして、本命が出来たとか」
無いな。
考えて、違うと否定する。
あのスケコマシなら、わざわざ隠すことなどしない。
むしろ、自慢の彼女なら見せびらかすタイプだ。
他人に奪われるなど考えもしない。
そもそも、何処かに出かけるというより急いで家に帰っているようなのだ。
ならば、家に原因があるのか。
「…何かヤバいもんでも隠してるとしたら」
調べるしかないだろう。
ニヤリと口元を吊り上げる。
互いの家に行き来することも多く、シーザーの部屋の合い鍵がジョセフの手の中にあった。
「いっちょ、お邪魔してみますか!」
奴に怒られたって怖かない。
弱みを握ってやるなんて意気込んで押しかけたジョセフが見たのは、意外なものだった。
「こら、ジョジョ」
呼ばれた。
こっそりと玄関のカギを掛けてお邪魔した部屋で聞こえた、甘い声。
そんな風に呼ばれたことないんだけれど。
早速、忍び込んだことがバレたのか。
恐る恐る視線を向けた声の先。
「…マジかよ」
手にすっぽりと収まる仔猫を持ち上げて、鼻にキスをするシーザーの姿があった。
デレデレじゃねぇか。
普段のすまし顔は何処にいったんだ。
ていうか、名前。
今、ジョジョって言わなかったか。
オイ。誰と同じ名前付けてやがるんだよ。
似合わない笑顔に動揺したせいで、うっかり物音を立ててしまった。
まずい。
気付かれた。
「…お前、いつから其処に居た?」
「し、シーザーちゃんってば…動物好きなのねン」
視線が交わり、気まずい沈黙が部屋を包んだ。
恥ずかしい。
シーザーが忌々し気に舌打ちするが、こっちも十分恥ずかしいっての。
ミャアと鳴く仔猫の声が、空気を読まずシーザーへと餌を強請る。
宥めるように撫でる手を少し面白くないと思いながら、名前の経緯に関して尋ねるべきかジョセフは迷った。
【猫可愛がり】
シーザーの飼い猫を目撃した日、ジョセフは何故自分と同じ名を付けたのか問い詰めた。
気になったまま終わらせるのは性に合わないと思ったのだ。
最初はバツが悪そうに口を閉ざしていたシーザーも、ジョセフのしつこさに根負けした。
「何となく…お前に似てたんだよ」
それだけかよ。
口籠った割に、シンプルな理由。
だったら、素直に猫を飼っていると明かしても良いじゃないか。
態々、隠れるような真似をして。
特別な意味があるのかもしれないなんて考えた自分が馬鹿だった。
からかって遊んでやろうと思ったのに。
「こーんな、チビっこいのが俺に似てるって?」
共通点を見つけるとしたら、黒羽色の毛色くらいだ。
意外と良い毛並してるな、コイツ。
可愛がってるって感じがする。
仔猫の首根っこを掴んで、不思議そうに覗きこんだら思い切り頭を叩かれた。
「危ないだろ、スカタン!」
危ないのはお前だろ。
勢いのまま顔面から床に激突するところだった。
シーザーを睨めば、逆に鋭い視線を向けられた。
どんだけ夢中なんだよ、お前。
奴の腕の中には、しっかり仔猫が抱き込まれている。
ミャァと鈴の転がるような声でシーザーを呼ぶ仔猫は、大分懐いているようだった。
「大丈夫だったか、ジョジョ?」
甘ったるい声で人と同じ名前を呼ぶんじゃあない。
嫌そうに顔を顰めるジョセフを横目で見たシーザーが、鼻で笑う。
コイツ、絶対わざとやってやがる。
仔猫は仔猫で、シーザーに応えるように奴の手をペロリと舐めた。
何だよ、この空気。
「お前は、素直で可愛いなァ」
仔猫を持ち上げたシーザーが、その顔に愛し気にキスを降らせる。
デレデレと幸せそうな顔しちゃって。
完全に骨抜き状態だ。
しかも、人が素直じゃないみたいな言い方しやがって。
当てつけか、コラ。
「…ケッ」
ジョセフには、あんなに優しい声も、穏やかな笑みも向けないくせに。
面白くない。
フンッと顔を逸らせば、少し離れた場所からクスクスと笑う声が耳を突く。
どうせ、また猫と戯れているのだろう。
知るかよ。
完全に不貞腐れたジョセフが膝を抱えていると。
「いつまでそうしてるんだ?」
グシャグシャと無遠慮に頭を撫でられた。
誰のせいだと思っているんだ。
言いたい気持ちを抑え、顔を持ち上げる。
その刹那、視界が塞がれた。
「はっ?」
目の前に広がるのは、艶やかな毛並み。
顔に仔猫が張り付いていると気付くまで数十秒掛かった。
「コイツは中々にやんちゃでな。こういうところがお前そっくりだろ?」
「猫と一緒にすんじゃねぇよ」
シーザーの言葉通り、仔猫はジョセフの少しばかり癖のある髪の毛で遊んでいた。
仔猫を手で支えるシーザーは、咎めるつもりが全くないらしい。
「ジョジョ」
彼が向けるこの声は、果たしてどちらに向けたものなのか。
甘ったるい音がジョセフへと向けられるはずが無いのだけれど。
期待する自分に戸惑いを隠せない。
お前のせいだ。
元凶となったシーザーとは別に、仔猫に恨めしげな視線を向ける。
しかし、向こうはこっちの気持ちなんて分かるはずがない。
つぶらな眸で見られると無性に居た堪れなくなるだろ。
意地を張るのが、段々馬鹿らしくなってきた。
人の気も知らないで。
嫌がらせのつもりで、撫でたのに構って貰えたと思った仔猫は嬉しそうに声をあげて。
案外、可愛いかもしれない。
楽しくなって仔猫にちょっかいを掛けていたら、急に遠ざけられて。
「心狭いぜ、シーザー」
「煩い」
不機嫌そうな男から奪い返そうとして失敗する。
そんなに大事なら、最初から触らせるなよ。
膨れるジョセフを無視して、目の前で仔猫を可愛がるシーザー。
やっぱり面白くない。
湧き上るのは、狡いという気持ち。
多分、これはきっとあれだ。
自分一人が除け者にされている状態だからで、あの仔猫が羨ましいからとか決してそんなことはない。
必死に否定するジョセフは、次は猫缶を持ち込んでシーザーが留守のうちに手懐けてしまおうと密かに企むのだった。
【意地悪く呼ぶ声】
シーザーの部屋に奇襲をかけた翌日、ジョセフは友人の一人に然り気無く尋ねてみた。
「人と同じ名前をペットにつけるのってどう思うよ?」
「有名人に肖ってとか?」
俳優や歌手、過去の偉人の名と同じ、もしくは近いものをつけるのは珍しくない。
質問を投げ掛けられたスモーキーは、近所にも有名スターと同じ名の犬が居た覚えがあると答えた。
「いや、身近な奴の名前」
「知り合いと同じってことかい?」
「まあ、そんなとこだ」
ジョセフと同じ愛称をつけられた仔猫の存在を伏せて曖昧に答えると、スモーキーは少しだけ悩んだ素振りを見せた。
「その人の名前を気に入っているとか?」
「気に入ってるねぇ」
そんな感じには思えない。
「じゃあ、恋人とか」
「無いな。つーか、そういうのって嬉しいものなのか?」
目の前で同じ名を愛しげに呼ばれたら、複雑だろう。
ジョセフがそうであったように。
「…違うってのッ!」
何で自分の話になるんだ。
シーザーは友人であって、恋人ではない。
突然、声を荒げたジョセフへ訝しげな眼が向けられる。
「いきなり、どうしたのさ!?」
「あー、こっちの話だ」
「どっちの話だよ…」
心配して損した。
呆れるスモーキーは、首を横に振って。
「他に考えられるとしたら、ペットがその名前を持つ人に似てるとかくらいかなぁ」
「ふーん」
似てるとは、到底思えない。
気の無いジョセフの返事にスモーキーは肩を竦める。
「どちらにせよ、その相手のことがよっぽど好きだってのは確かなんじゃない?」
「何で分かるんだよ」
「だって、一緒に暮らすのに、嫌いな奴の名前なんてつけないさ」
「まあな」
嫌われていないと思うが、それとこれとは話が別だ。
これ以上、二人で論議しても答えは出ないだろう。
余計な詮索をされる前に、ジョセフは話を切り上げた。
スモーキーに相談した数時間後。
ジョセフは、シーザーの部屋の前に立っていた。
完全にあの男と仔猫に振り回されている。
もとはといえば、シーザーが紛らわしい名前をつけるから悪いのだ。
放っておくのが一番。
頭では分かっていても、気になって仕方ないジョセフは、シーザーがバイトで部屋を空けている時間を狙って忍び込んだ。
片手にはちゃっかり猫じゃらしとキャットフードが入った袋が握られていた。
合鍵を使い入った玄関先で、奴の靴が無いことを確認する。
部屋に続く扉を開いた途端、足元に何かが飛び付いてきた。
確認するまでもない。
あの仔猫だ。
やんちゃだと語ったシーザーの言葉通り、部屋は散らかされていた。
容赦なくジーンズに爪を立てる仔猫を引き剥がすと、文句ありげに唸り声と共に睨まれる。
「そう怒るなって」
宥めようと袋から猫じゃらしを取り出し、左右に軽く振ってみた。
しかし、仔猫はツンとそっぽを向いて部屋の隅に逃げてしまう。
「可愛くねーの」
猫といえば、猫じゃらしだろう。
警戒してこちらの様子を伺うどころか、視界にも入れようとしない姿にジョセフは唇を尖らせた。
馬鹿にしやがって。
飼い主に似たのだろうか。
触ろうとして近づくと、すぐに気配を察して走り去る。
猫に負けて堪るかと、仔猫を追いかけた。
あと一歩のところで逃げられる。
また追いかけるを繰り返すこと数十回。
「あー、もう! やってられっか!」
疲れ果てたジョセフは、手にしていた猫じゃらしを投げ出した。
床に座り込みながら、このままシーザーの帰宅する前に帰ってしまおうかと考える。
収穫が無いのは癪だが、仔猫に相手にされなかったと知られたら絶対に笑われることは確実。
厭味ったらしい台詞と共に嘲笑されるのは御免である。
「…何だよ」
そのまま仔猫を置いて帰ろうしたところで、胡坐をかくジョセフの太股の上に乗ってきた。
「邪魔なんですけどー」
仔猫の顎を突きながら文句を言っても通じるはずがない。
むしろ、嬉しそうに手に身体を摺り寄せてくる。
さっきまで興味が無いって顔でそっぽ向いてたくせに。
天の邪鬼め。
ミャアと鳴いて、反対の手に持っていたキャットフードの缶に前足を伸ばしている。
「食い意地張ってんのね、お前」
シーザーにちゃんと餌を貰えているのだろうか。
若干、不安に思いながら、お預けだといって缶を少し遠ざける。
仔猫を抱き上げた際に、ふわりと石鹸の香りが鼻腔を擽った。
シーザーの匂いだ。
ふと、仔猫が部屋の隅で包まっていた布に視線を落とす。
古くなった部屋着か何かかと思ったそれは、数日前にシーザーが着ていたシャツだった。
記憶が確かなら、買ったばかりと言っていたはずだ。
「随分と派手にやったな」
ビリビリと爪で破かれたそれに、ジョセフは苦笑する。
「怒られても知らねーぞ」
手に抱えた仔猫に視線を合わせて笑うも、やはり相手は分かっていない。
尤も、シーザーがこの仔猫を怒鳴りつけることなど出来ないだろうけれど。
そういえば、奴はやたらとキスを降らせていたな。
吸い寄せられるように、仔猫の鼻先に唇を近づけた瞬間。
「随分と楽しそうじゃあないか、ジョジョォオ?」
やたらと甘ったるい声が背後から聞こえ、手の中の仔猫を落としかけた。
危ないところだった。
手を離さなかった自分を褒めてやりたい。
ふぅっと息を吐き、部屋の時計に眼を向ける。
「はは…お早いお帰りで」
仔猫に夢中で時間が経つのを忘れていた。
笑顔を貼り付けて振り返るジョセフを、これまた綺麗な笑みを貼り付けたシーザーが待ち受ける。
勝手に入った、入ってない。
なんてのは合鍵を渡されている時点で咎められる筋合いはない。
これまでも、シーザーの居ない間に部屋に来て漫画を読んだり、食事をしていたり、自分の家のように過ごすことが多々あった。
問題は、手の中の存在だ。
シーザーはジョセフと仔猫を見比べた後、ゆっくりと口を開いた。
「ジョジョ」
殊更優しい、先刻よりもずっと甘い声。
呼ばれる名前は、一人と一匹に共通するもので。
差し出される手は、どちらに対してのものなのか。
間違いなく仔猫に向けてのものだと思うのに、何故かシーザーの眼はジョセフを捉えていて。
「俺はてめーの猫じゃねぇよ」
意地の悪い色を宿した眸であやすように顎を撫でようとするから、思い切り噛みついてやった。