Con tenerezza


真っ直ぐに見上げてくる双眸。
「お前…誰だ?」
訝しげに眉値を寄せて問いかける声は、普段耳にしていた音より幾分かトーンが高い。
見慣れた顔より幼い表情を残す子供を前に、シーザーは顔を押さえて天を仰いだ。
視界に広がる空は青く、雲ひとつ見当たらぬ快晴。
昼寝には持ってこいな状況で、自分は夢を見ているに違いない。
突然の出来事に現実逃避しかけていたシーザーを呼び戻したのは、予想外の痛みだった。
「聞いてんのか、このイタ公ッ!」
叫び声が聞こえるのと同じくして、右足の脛が蹴りあげられる。
完全に油断していたシーザーは、片足を抱えて蹲った。
弁慶の泣き所と言われるだけあって、かなり痛い。
このクソガキ。
反射的に大人げなく胸元を掴み上げるも、サイズの合っていない服のせいで効果をなさない。
舌打ちするシーザーに、子供は満足そうに笑う。
その瞬間、目の前の存在がジョジョであると確信した。
悪戯を仕掛けて成功した時に見せた笑みと、目の前の少年の誇らし気な笑顔が重なる。
やはり、認めざるを得ないのか。
ジョジョが着ていた服を引き摺っていた時点で予想していたが、信じたくはなかった。
仕方ないだろう。
誰だって目を疑うはずだ。
つい先刻まで二メートル近くあった男が、急激に縮んでしまうなんて。
記憶も退行しており、シーザーのことや修行のことも一切覚えていない。
しかし、いや、まさか。
シーザーの頭は、未だ混乱していた。
何度も否定してみるものの、他の答えが結びつかない。
「俺は、シーザーだ。お前の名前は?」
意を決して少年に尋ねれば、彼は顎に手を当てて少し考える素振りを見せた後。
「…ジョセフ・ジョースター」
彼と同じ名を口にした。



突然の事態に困惑しながらも、シーザーはジョジョを抱えてリサリサのもとへ走った。
自分では対処しきれない上に、弟子であるジョジョの異変を真っ先に師に伝える必要がある。
彼女なら、何らかの策を講じてくれるはずだ。
小脇に担いだ子供の抵抗を無理やり押さえつけて、ボロボロになりながら走った先。
「状況は分かりました」
「先生!」
「暫くは貴方がジョジョの面倒をみなさい」
「せ、先生!?」
リサリサがシーザーに指示したのは、ジョジョの世話だった。
スージーQに用意させた子供用の服をシーザーに当たり前のように手渡す。
解決方法については一切触れないまま立ち去ろうとする彼女を、慌てて呼び止める。
「面倒をみるって、ジョジョをもとに戻す方法は…」
「そのうち戻るでしょう」
「本当ですか、先生!?」
落ち着き払ったリサリサの言葉に、シーザーはホッと胸を撫で下ろした。
「ちなみに、いつ戻るんですか?」
「さあ…それは私にも分からないわ」
「えっと、先生?」
「原因については貴方の方が詳しいはずよ、シーザー」
リサリサが言うなら大丈夫だ。
師を信頼するシーザーは、彼女の言葉を疑うつもりはない。
けれど、原因を自分の方が知っているというのはどういうことだろう。
「いい加減、離せよ!」
考えを巡らせていると、再び足に痛みを感じた。
今度は思い切り足を踏み付けやがった、このガキ。
大人しくしていたのは、状況を把握する為だったらしい。
振り上げたシーザーの拳を見て、ジョジョはニヤリと眼を細めた。
「ガキ相手に暴力に訴えるのはどうかと思うぜ、オニイサン?」
「…チッ」
「あの姉ちゃん…先生って呼んでたっけ。言いつけてやっても良いんだぜ?」
子供相手にムキになる姿を暴露されるのは、正直勘弁願いたい。
口籠るシーザーに、ジョジョは勝ち誇った表情を浮かべる。
やはり、小さくなっても変わらない。
喰えない奴だ。
これの面倒をみろなんて、リサリサも無茶を言う。
新しい玩具を手にしたのと同じ眼で自分を見る子供を前に、シーザーは不敵に笑った。
今のジョジョは小さな子供だ。
こうなったら、とことん構い倒してやる。



シーザーは、まずジョジョに用意した服を着せると、シャボン玉の中に閉じこめた。
誤解の無いように言っておくと、嫌がらせや仕返しではない。
目を離した隙を突いてすぐに島のあちこちを動き回ろうとするから、仕方なくこの形をとったのだ。
リサリサはそのうち戻ると言っていたけれど、原因を突き止めるに越したことは無い。
ジョジョの部屋を探索しているうちに、見覚えのある瓶が空になっていることに気付いた。
原因は、これか。
昨日の買い出しの際に、見るからに怪しい店でジョジョが購入したピンクの液体が入った小瓶。
願いが叶うなんて謳い文句、子供だって騙されないというのに。
お前いくつだよと呆れながら、上機嫌なジョジョを見て溜息を零したのは記憶に新しい。
叶えたい願いについて語らなかった彼は、食事の後マスクを嵌められる前に飲んでいたのだろう。
数日様子を見て戻らないようなら、あの店に行くしかない。
空になった小瓶をポケットに忍ばせ、放置していたジョジョへと視線を戻す。
シャボン玉に入れた時は散々騒いでいたものの、途中で声が聞こえなくなっていた。
あのジョジョが静かということは、何か企んでいる可能性が高い。
二度の不意打ちを受けたシーザーが身構えて振り返ると。
「ジョジョ?」
驚くべきことに、ジョジョは大人しくシャボン玉の中に座っていた。
不思議そうに石鹸と水と波紋を合わせた壁をぺたぺたと触り、透明な膜が伸びても割れないことに感動を覚えているようだった。
「お前のシャボン玉すげーなッ!」
視線が合うなり、ジョジョは眼を輝かせて興奮気味に捲し立てた。
ふわふわと彼を乗せて浮かぶシャボン玉は、どうやら子供心を掴んだようだ。
ジョジョを包むシャボンの中に、小さなシャボンをいくつか追加してやると楽しそうに両手を広げていた。
無邪気な笑顔。
元々童顔なジョジョを更に幼くしたその顔に、シーザーの表情も自然と緩む。
そろそろ飽きるだろう。
タイミングを見計らってシャボン玉の中から出した途端、後ろから思い切り突進された。
人が気を抜いたところをまた狙いやがって。
少しばかり牽制として波紋入りのシャボンをぶつけてやろうか。
ジロリと振り返ったシーザーを、純粋な眼が射抜く。
「なあ、シーザー! 割れないシャボン玉の作り方教えてくれよ!」
懐かれたらしい。
本来の歳よりも離れているからか、いつになく素直なジョジョにシーザーは少し戸惑った。
対応に困ったのもほんの僅かな間のこと。
元来の世話焼き気質に加えて、今まであれこれ口出してきたこともあり、みるみるうちに二人の距離は縮まった。
シーザーにべったりなジョジョの姿を見て、夕食の席では師範代達やスージーQに兄弟のようだと称された。
だからと言って悪い気はしない。



夕食を終え、シーザーの部屋に入るなり、ジョジョは食堂での会話を掘り返した。
「シーザーが兄ちゃんねぇ…」
ワザとらしく不満げに唇を尖らせる子供の髪をぐしゃぐしゃに撫でてやって。
「ガキ扱いすんな!」
「そうやって、ムキになるとこがガキなんだろ」
「ガキを虐めて楽しんでるシーザーの方がガキっぽいぜ」
「中々言うじゃあないか」
不貞腐れたジョジョに顔を近づけて、両頬を抓ってやる。
柔らかいな。
なんてぼんやり考えていると、頭突きを喰らった。
「…痛ぇ」
赤くなった額を押さえるジョジョに、お前の方が痛がってどうすると呆れる。
構って欲しいなら、口に出せよ。
加減を知らない不器用な子供に、怒りよりも愛しさがこみ上げた。
前髪を掬って、額にキスを落とす。
特に考えることなく自然に身体が動いていた。
「…は?」
ジョジョの眼が零れ落ちんばかりに、開かれる。
しまった。
己の無意識の行動に気付いた時には、恨めしげな視線がこちらに向けられていた。
「シーザーのスケコマシ。こういうのは、女相手にやれよ」
額を押さえたジョジョが、誰から聞いたのかスケコマシとシーザーを批難する。
その声が何処か拗ねた色を含んでいたので、笑いを密かに噛み殺した。
思いの外、自分はこのジョジョに好かれていたらしい。
いつものジョジョも、もう少し分かりやすく感情を表に出してくれると良いのだけれど。
「駄目なのか?」
嫌だったのかと声のトーンを落として尋ねる。
成長したジョジョには通じない手だが、幼い彼は引っ掛かってくれるだろうか。
意地の悪い心を隠して、寂しげな表情を貼りつけるシーザーを見た真っ直ぐな眸が揺らぐ。
「…べ、別に」
本音を隠そうとするのは、彼の幼い頃からの癖なのかもしれない。
あと一歩を踏み出さないジョジョの手を引いて、抱き締める。
「止めろって!」
手足をばたつかせても、現在の体格差ではシーザーの腕を振りほどけない。
ジョジョを見下ろすのも、すっぽりと腕の中に収まるのも新鮮だった。
夢が叶うとジョジョは言っていたが、束の間の夢なら意外と悪くないかもしれない。
無理に手を伸ばさなくても柔らかな髪を撫でることが出来るし、全てを覆い隠すように抱き込んでしまうことも出来るのだ。
身を捩って逃れようとするジョジョの力は、次第に弱くなってくる。
離せと喚いていても、結局は本気で抵抗していないのだ。
髪や首筋に何度もキスを降らせているうちに、胸に顔を押しつけられる。
視線を落として目につく耳は真っ赤に染まっていて、両手はシーザーのシャツを強く握りしめている。
「ジョジョ」
嬉しくなって名前を呼ぶと、おずおずと背中に腕が回された。
「シーザーの変態。女に餓えてるからって子供に手を出すのかよ」
人を獣扱いするな。
序に言うと、女に困った覚えは生憎とない。
「お前なァ…」
まだ可愛くないことを言うのか。
伸ばされる手と裏腹の言葉に、シーザーは溜息を零した。
この天邪鬼め。
子供になった時くらい、甘えておけ。
嫌がるジョジョの顔を無理やり引きはがして上を向かせる。
そして、熟れた林檎よりも色付いていた顔に唇を寄せた。
触れるだけのキス。
唇と唇を重ねる意味は、子供でも分かるだろう。
実際、ジョジョは悔し気に唇を噛みしめて、言葉の代わりに勢いよく抱きついてくる。
胸に埋められる頭を優しく撫で、シーザーは愛し気にもう一度ジョジョと名前を呼んだ。


その夜、シーザーは幼いジョジョを抱きしめて眠った。
翌朝になってリサリサの言葉通り、元に戻ったジョジョに押しつぶされるという最悪な形で目を覚ました。
何故、シーザーの部屋に居るのか。
首を傾げるジョジョは、小さくなった間の一切の記憶が無いらしい。
もう一日くらい、あのままで良かったのに。
密かに項垂れるシーザーの心を知ってか知らずか、覚えていないが幸せな夢を見たとジョジョが笑っていたから。
「それは、良かったな」
あの子供にしたのと同じように、そっと彼の頭を撫でて微笑んだ。