君に贈るカンツォーネ
目の前には、跪いたままうっとりとこちらを見上げる男。
ジョセフはその男に左手を掴まれたまま、空いた右手で額を押さえた。
厄介な奴に捕まってしまった。
何故、こんな事態に陥ってしまったのか。
原因を挙げようと考えるものの、様々な要因が重なり過ぎてジョセフは匙を投げたくなった。
まず、諸悪の元凶は、息子を娘として育てようとした父のジョージ・ジョースターにある。
間違いない。
娘が欲しかった母の遺言だが何だか知らないが、どう考えても無理だろう。
子供を産むことなんて出来るはずもないから、いくら着飾って淑女として育てても結婚は出来ない。
幼い頃からジョースター家の娘として世間的に扱われてきたのだ。
今更、男でしたとも公表出来ない。
尤も、昔から病弱であることを理由にあまり外に出されず、ジョセフの本当の姿を知るものは少なかったけれど。
病弱であるというのは、勿論嘘だ。
成長していく身体を誤魔化せないと分かっていた父の指示で、外出を制限された。
お蔭で屋敷内で退屈な生活を送る羽目になり、ジョセフは兄であるジョナサンの服を拝借して屋敷を何度も抜け出したものだ。
長い髪は動き回るのに面倒で使用人に黙って、自分で切ってやった。
連れ戻される度に、父と喧嘩する日々。
男であることに気付いたジョセフが問いつめた時はもう一番酷かった。
息子に真実を突き付けられた父は、自分の妻の無念を話し、謝罪した。
すまない。
最初は、頭を下げて悪かったと繰り返す父に心動かされた。
許しても良い。
これから自由に生きられるならと珍しく歩み寄ったのだが、ジョージは中々に諦めの悪い人だった。
成人までで良い。
頼むからと泣きつかれ、ジョセフは仕方なくこの茶番を続けることにした。
子供を巻き込むなと一蹴したかったけれど、父が母を亡くしても、ずっと想い続けていることを知っていたから無下にできなかったのだ。
ヒラヒラとしたスカートは動きにくいから好きじゃない。
でも、似合うと周りに褒められるのは嫌いじゃない。
父が少し複雑そうに笑い、兄が頭を撫でて可愛いと言ってくれる。
悪い事ばかりではないから、あと数年我慢してやるか。
なんて軽く考えた自分も悪かった。
うちの家族は他よりちょっとズレているという外で知った事実をすっかり忘れていたのだ。
あの時、絶対に嫌だと拒否しておけば良かったと今更思ったところで遅い。
遅いけれど、こればかりは仕方ない。
だって、考えもしないだろ。
女装した息子に婚約者用意するとか。
有りえない。
こちらが女ですと主張したところで、あるべきものは無いし無い筈のものがついていのだから。
突如、夕食の席で見合いの話を伝えられたジョセフは、苛立ちを通り越して脱力した。
自分もかなり最悪だが、男と結婚させられそうになっている相手も十分哀れだ。
さて、どうするべきか。
真っ向から父を言い負かすことも口の立つジョセフなら可能だが、また別の相手を用意しそうである。
誰だよ、成人までで良いなんて言った奴。
娘を嫁にやる父親みたいな顔するなよ。
母さんが喜ぶとか、もう結婚式で見送る気分とは気が早すぎるだろ。
内心では悪態を吐きながら、笑顔を取り繕って相手の情報を聞き出す。
興味があるように振る舞えば、父は嬉しそうに自分の知人の孫であることを語った。
シーザー・ツェペリ。ジョセフより二つ上になる男だという。
聞いたことがある。
父の知り合いだからではなく、何処かで。
「あの、父さん」
「どうしたんだ、ジョナサン?」
「そのシーザーって男、あまり良い噂を聞かないんだけど…」
名前を聞いて反応したのは、ジョセフだけではなかった。
同席していた兄のジョナサンの言葉に、なるほどと頷く。
街で何度か名前を聞いたことがあるソイツは、女好きで有名だった。
ジョセフが街にこっそりと出かけた際、遊び仲間が恋人をとられたとか何とか言っていた。
女たらしで、誰にでも声を掛けるキザで実にいけ好かない男だとも。
「心配しなくとも大丈夫さ、ジョナサン」
「でも…」
「そーそー、別に今すぐ結婚するって話でも無いんだし」
ぶち壊すには時間がある。
後半の本音は胸の内に留めて、兄を安心させるように微笑む。
この時点で、既にジョセフの脳裏には一つの策が浮かんでいた。
その作戦とは、父に引き合わされるより先にシーザーという男に会って、結婚の話を無かったことにするという実にシンプルなものである。
相手に男であるという真実を告げたら、自ずと断ってくるはずである。
ただ、こちらが騙していたという形で責任を取らされるのは色々とまずい。
そこで思いついたのは、相手を自分に惚れさせてから正体を明かすというものだった。
周りの話を聞く限りでは、ジョセフが嫌いなタイプだし丁度良い。
正式な顔合わせ前に相手から断らせることが出来れば、家の面目も保てるし、噂の色男とやらに痛い目も見せられて一石二鳥というわけだ。
父がかなり乗り気である以上、残された時間も少ない。
早速行動に移すことを決めたジョセフは、翌日には街に飛び出していた。
まずは相手の情報を得る必要がある。
知り合いにシーザーの行方を尋ね、彼が良く出没する店を教えてもらう。
何故、あの男のことを聞くのかと不思議がられたので、ムカつくから一泡吹かせてやると答えると、是非頼むと言って握手を求められた。
これだけでシーザーという人物が見えてきた気がする。
「金髪碧眼のキザ男ねぇ。あーヤダヤダ」
どうせ今日も女連れだろうから、店に入ってすぐに分かるだろう。
言葉通り、ジョセフは店内の一角ですぐにシーザーらしき男を見つけた。
案の定、甘ったるい笑みを振りまいて女の子を口説いてやがる。
歯が浮くようなクサイ台詞を吐いているに違いない。
だが、幸せなひと時も此処までだ。
屋敷から持ち出したドレスに着替え、化粧もいつもより気合を入れたジョセフは、勝利を確信する。
それにしても、この格好をしてから周りの視線がやけに突き刺さるのは何故か。
ぐるりと視線を巡らせても誰も目を合わせてくれないし、顔を青くしたり、ひそひそと何かこちらに向かって囁いたり。
街の人間を惹きつけてしまうなんて、我ながら罪作りだ。
誰も声を掛けてこないのも、当然かもしれない。
あのスケコマシが近寄って来なかったら、自分から声を掛けにいこう。
男の視界に入る位置に座るジョセフは、チラリと様子を伺う。
すると、こちらをジッと伺う双眸と眼が合った。
「やっぱ気にしてやがる」
店に脚を踏み入れた時からざわついていたのだから、気にならないはずがない。
相手の女の子を放ってこちらを見つめ続ける男に、ジョセフは腹を抱えて笑い出したい衝動に駆られた。
「ったく、早く来いよ」
ボソリと聞こえない声で口説いてみろと呟いて、相手に向ってウィンクをしてやる。
足りなかったら投げキッスの一つでもしてやろうか。
悪戯が愉しくなってきたジョセフが、笑うのを堪えてもう一度男に視線を戻した刹那。
「君に会えて嬉しいよ。シニョリーナ」
いつの間にかテーブルの傍らに立っていた男が、隣に座っても良いかと尋ねてきた。
彼の少し離れた位置で連れていた女の子が今にも泣きだしそうな顔をして店を出て行く姿が気になったけれど、見なかったことにする。
スケコマシだからと言ってフェミニストではないらしい。
ジョセフは勿体ぶって悩むポーズをした後、ニッコリと満面の笑みで頷く。
「お兄さ〜ん。あたしと一緒にテキーラ酒飲まな〜い?」
予め頼んでいた酒瓶を持ち上げた手が、男に捉えられる。
「お兄さんなんて寂しいな。シーザーって呼んでくれないか」
知ってるけど、呼びたくないんだよ馬鹿。
息が掛かる程近くで甘ったるい声で囁かれ、鳥肌が立ちそうになった。
優雅に笑って自然な動作で腰を抱き寄せてくる腕を振り払いたいが、ここは我慢だ。
「やっだ〜!シーザーちゃんったら大胆なんだから〜!」
やたらと身体に触れてくるのは気がかりだが、もう少しからかってやろうと思いシーザーに付き合うジョセフ。
当たり障りのない話をしつつ、酒を飲みかわすこと一時間。
そろそろ潮時だと思った頃、シーザーから先に動いた。
「君の唇に魔法をかけるよ。今日という日を忘れないように」
熱に浮かされた眸が伏せられ、近づく唇。
まんまと引っ掛かりやがった。
思い通りの展開に、ジョセフはほくそ笑んだ。
そして、触れる直前でがっちりと相手の唇を手で押さえつけてやる。
「残念だったな。俺は男だ」
触れた感触が違うことに気付き、閉じていた眼を開いたシーザーにジョセフが誇らし気に言い放つ。
どうだ。
声も出ないだろう。
フフンッと鼻を鳴らすジョセフは相手がショックを受けたものだと信じ込んでいた為、完全に油断していた。
「だから、どうした?」
先刻よりも楽しそうな声が聞こえ、腕を強く掴まれる。
そのままグイッと引き寄せられ、抱きしめられてしまった。
「そんなこと端から分かってるんだよ、スカタン」
左耳にチュッとキスを落とされ、クスクス笑う声と共に伝えられる衝撃の事実。
「お前、ジョセフ・ジョースターだろ」
疑問ではなく肯定。
名前を呼ばれ、ジョセフの身体があからさまに強張った。
父はジョセフのことを外では『ジョセフィーヌ』という女性名で通していたから、本名など知るはずないのに。
コイツ最初から全部分かってやがった。
罠にかけられたのは、自分の方だ。
これは非常に由々しき事態である。
サーッと血の気が一気に引いたジョセフは、渾身の力を込めてシーザーを突き飛ばした。
悔しくて、恥ずかしかった。
シーザーはジョセフの演技を見て、心の中で嘲笑っていたに違いない。
「いきなり突き飛ばすとは、とんだ淑女だな」
「うるせー!このスケコマシ!」
床に尻餅をつきながらも余裕な態度を崩さないシーザーが憎らしくて、ジョセフは履いていた靴の片方を思い切り投げつけて店から逃走する。
似合わないことなんてするんじゃなかった。
計画の失敗に落ち込み、フラフラと屋敷までの道を歩く。
靴を履いていない方の足が痛んだけれど、痛いのは心だ。
畜生。
失意まま帰宅したジョセフは、うっかり屋敷の玄関から入ってしまった。
いつもならこっそりと抜け道を使って部屋に帰るのだが、シーザーとの出来事に気を取られていたから考える余裕もない。
片方だけのハイヒールと足の裏の傷。
悔し気に唇を噛むジョセフを見た使用人が報告し、父と兄が何事かと駆け寄ってくる。
「何があったんだ、ジョセフ?」
「…別に」
「血が出てるじゃないか。早く手当しないと!」
答えられるはずもなかった。
ただ、外を歩いていたら踵が壊れて捨ててきたとだけ言って部屋に引き籠った。
兄が外から心配そうに声を掛けてくる声も無視して、ベッドの中で布団を頭から被る。
頭の中をぐるぐる回るのは、言うまでもなくシーザーのしたり顔だ。
最初からジョセフの正体を分かっていたということは、結婚の話を受け入れるつもりなのだろうか。
はたまた、顔合わせの際に冗談じゃないと断りを入れるつもりだったのか。
分からない。
むしろ、分かりたくない。
今度こそ痛い目を見せてやりたいと思うより、二度と顔を見たくないという気持ちの方が大きかった。
顔合わせの前に断ってくれ。
ジョセフの願いは、翌朝尋ねてきた男によってあっさりと砕かれる。
「また会えて嬉しいぜ」
こっちは一生会いたくなかった。
いい加減出てきて顔を見せてくれないか。
悲痛なジョナサンの声に耐えかねてジョセフが扉を開けた先で待っていたのは、晴れやかな表情で兄の横に立つシーザーだった。
ちょっと待て。
待ってくれ。
「な、なんで…お前が此処に…」
「シーザーが靴を届けてくれたんだよ。ついでに僕達に挨拶したいって」
挨拶という単語にジョセフは目を見開く。
いやいや、挨拶ってお前。
「じゃあ、僕はこれで」
混乱している間に、ジョナサンはシーザーを置いて立ち去ってしまう。
追いかけようとするも、ジョセフの身体は部屋に侵入してきたシーザーに押し込まれた。
塞がれる逃げ道。
扉が駄目なら、窓を使えば良い。
部屋のすぐ脇には、屋敷を抜け出す際に使う木があるのだ。
慌てて反対方向に走り、窓枠に手を飛び出そうとした身体を襲う浮遊感。
部屋の外に出るはずの身体は、シーザーに持ち上げられていた。
俺より小さいスケコマシのくせに。
「俺を置いて何処にいくんだい、シニョリーナ」
身体を捉えたまま離そうとしない腕を見て舌打ちした。
「てめーがなんで此処に」
「事情を話してお義兄さんに入れて貰ったんだ」
お義兄さん呼びするな。
不吉だろ。
快く入れてくれたとほざくシーザーをジョセフが胡乱げな眼差しで見る。
どんな大法螺吹きやがったんだ、この野郎。
どうにか逃げようとするが男は隙を見せない。
「忘れ物を届けにきたぜ」
「スケコマシのイタ公が触った靴なんて要らねぇよ」
「お義兄さんに渡しといたから、素直に受け取れよ」
フイっと視線を逸らすジョセフの態度を意に介さないシーザーが、後ろから宥めるようにぽんぽんと頭を撫でる。
だから、気安く触るなっての。
さっさと腰に回した手を離せ。
バシッと手を振り払ってもシーザーは怒るどころか、楽しそうにな声で勝手に話を続ける。
「別に俺はお前をからかったわけじゃないぜ」
笑っていた奴がよく言う。
「まさか、そっちから会いに来てくれるとは思わなかったからな。正直、嬉しかった」
嬉しいって何だ。
また、からかっているのか。
ジョセフが疑わしげに振り返り、すぐに後悔した。
見るんじゃなかった。
「最初から全部知ってんだよ、お前のことは」
シーザーの眼にからかいや嘘は見えない。
ただ、とても愛しいものを見るような眼差しを向けられ、ジョセフは息を飲む。
止めてくれ。
マジとか勘弁してくれ。
赤くなった後に青くなるジョセフの様子を見守っていたシーザーが、ゆっくりと手を離す。
次は何をするつもりだ。
身構えるジョセフに柔らかく微笑みかけた男は、あろうことか、左手の薬指に恭しく口づけると、膝をついて求婚した。
愛してると言って熱情を孕んだ眼を向けられて心が揺らぐ…わけがなかった。
生憎とジョセフはシーザーに簡単に心動かされる女の子ではないのだ。
思いきり振り払って、触れられた箇所を手でさする。
「お互いの家にとっても悪い話じゃないだろ?」
「家のことなんて知るかよ」
これまで散々振り回されてきたのだ。
知らない。
「大体、男同士で結婚できるわけねぇじゃん」
「お前は表向きは女とされてんだから良いだろ」
良いことなどひとつもない。
「俺が相手じゃ不満かよ」
「当たり前だろッ!」
可愛い女の子とチェンジを希望する。
女好きという噂はどこへいった。
スケコマシと聞いていたからこそ、このふざけた結婚をぶち壊してくれると期待していたんだ。
憤るジョセフに、段々とシーザーの機嫌も降下していく。
「きさま、俺の気も知らないで!」
手首を掴まれ、床に引き倒されるジョセフ。
覆いかぶさるシーザーを殴ろうとした手は避けられ、キスをされてしまう。
グッと押し付けられる唇から顔を逸らして逃げようとしても、どこまでも追って来た。
「んっ」
唇を舌で舐められ、ビクリと身体が震える。
それを見たシーザーの目元が僅かに緩むのを見て、ジョセフは奥歯を噛んだ。
絶対に殴ってやる。
続けられるキスの中で拳を握りしめ、狙いを定めた瞬間。
「二人共、テラスでお茶を」
控えめなノックの数秒後、ジョナサンが扉から顔を出した。
「に、兄ちゃん!」
「ごめん…お邪魔だったみたいだね」
ナイスタイミング。
邪魔どころか神の助けにも等しい。
家族を前に、これ以上無体を働けないはずだ。
「行く!今から行くから待った!扉閉めないでッ!」
ほら、離れろ。
ジトリと睨むジョセフと慌てるジョナサンとを交互に見たシーザーは、名残り惜しそうに手を離す。
ちゃっかり舌打ちしたの見逃さなかったからな、イタ公め。
ジョナサンの隣に走り寄ったジョセフは、茶会の席で始終シーザーを威嚇し続けた。
同席した父も兄もあからさまな態度から流石に察するに決まっている。
彼等はジョセフが嫌がることはしない。
大丈夫だ。
そう高を括っていたジョセフは、シーザーが帰る頃に結婚の話が纏まってしまった状況に理解が追いつかなかった。
呆気に取られている間に式の日取りまで決められていたのだ。
「俺は絶対に嫌だからな!」
拒否しても、何故か照れ隠しだととられて父や兄には伝わらない。
本当にコイツどんな作り話を二人にしやがったんだ。
父に言われて嫌々ながら玄関まで見送るついでに聞いたが、シーザーは苦笑いを浮かべて肩を竦めるだけだ。
「お前が…俺のこと思い出したら教えてやるぜ?」
しかも、謎かけの如く意味深な台詞を残してちゃっかり頬にキスを落としていくから性質が悪い。
お蔭でシーザーのことばかり考える羽目になったではないか。
遠くなる背中をすぐにでも追いかけて蹴り飛ばしてやりたい。
優先すべきは目先の報復ではなく、自分の未来であった為に我慢したけれど。
如何に結婚から逃れるかが、今のジョセフの課題である。
その後、予定通り挙式が執り行われたが、花嫁が逃亡未遂を図るという騒動あったとか。
逃亡劇の結末は、未遂という言葉でお分かり頂けるだろう。