Sbaciucchio
今日は大丈夫だろうか。
部屋の中からキョロキョロと廊下を伺い、周りに人気が無いことを確認する。
大丈夫、誰も居ない。
ホッと胸を撫で下ろしたジョセフは、音を立てないようにそっと飛び出した。
何でコソ泥みたいな真似をしなければならないのか。
元凶であるシーザーのにやけた顔が脳裏に浮かび、溜息が零れた。
「ジョジョのくせに早いじゃないか」
また駄目だった。
只でさえ気落ちしていたところに、止めを刺すかの如くタイミングで掛けられる声。
反応するより先に瞼に感じた体温に、ビクリと身体が揺れる。
これは、多分気付かれた。
「ガキじゃねぇんだ」
当然のように肩を抱くシーザーを押し退け、一定の距離を保つ。
「起こされなくても自分で起きるぜ」
「数日前まで寝坊してた奴がよく言えたな」
お前が居なければ、今日だってゆっくり眠っていたんだ。
「別に起きれないなら、俺が起こしてやるぜ」
「はは、冗談だろ」
起こすどころか、寝起きを襲いかけた奴がよく言えたものである。
本来の起床時間より数十分前に目覚めるようになったせいで、ロギンス師範代に褒められたよコンチクショウ。
「行くぞ、ジョジョ」
「はいはい」
此処でいつまでも押し問答を繰り返していても埒が明かない。
お前がちょっかいを掛けなければ、すぐにでも朝食の席に向っていたのに。
そんな不満を飲み込んで、シーザーに続く。
「でも、シーザーちゃんは先歩いてね」
勿論、自分の身の安全を隠した上で。
後ろに立たれるのは不安だから、前を行け。
シーザーが動き出すまで、この場を離れない。
「そんなに警戒するなよ」
ジッと睨んでいると、可哀想なものを見る眼を向けられる。
普通、こっちが悪いみたいな空気にならないだろ。
てめぇの胸に手を当てて省みやがれイタ公め。
「ったく、何でこんなことに…」
シーザーの数歩後ろで、ジョセフは嘆かずにはいられなかった。
藪を突いた自分が悪いのか、はたまた開き直った相手が悪いのか。
あの告白劇を経て、シーザーはジョセフへの好意を隠さなくなった。
だからと言って、甘い台詞を吐いて口説いてくるわけじゃない。
愛を囁かない代わりに、隙あればキスを仕掛けてくるのだ。
シーザー曰く、ジョセフ相手だと言葉より行動の方が効果があるとか。
確かに、口で言い負かす方が楽だと納得してしまう辺り、見透かされているのかもしれない。
「遅れるなよ、ジョジョ」
こうして呼ばれるだけで反応するのが、その証拠。
嫌でも意識して身構えてしまう。
更に性質の悪いことに、拒絶されてもシーザーは然して気にした素振りを見せなかった。
恋の駆け引きとやらを楽しんでいるらしい。
愛に生きる男の心理は理解出来ない。
一生理解したいと思わないけれど。
「いい加減にしないと、担いでいくぞ」
嗚呼、やってしまった。
耳元というか、ほとんど唇が肌に触れる状態で響く声に、ジョセフの肩が跳ねる。
ぼんやりと背中を見つめながら考えていたのは、まずかった。
ジョセフの要求に応じて先を進んでいると思っていたシーザーが、気付けば隣に立っていた。
後ろを気にするシーザーに歩調を合わせるジョセフに、痺れを切らしたようである。
おめーがさっさと目の前から消えないから悪いんだろ。
「俺は荷物じゃねぇぞ」
「シニョリーナをベッドに連れて行くのと同じように運んでやろうか?」
「ふざけんな!このスケコマシがッ!」
話している間に、耳と首筋にリップ音付きでキスをされてジョセフは飛び退いた。
「だから、不用意に俺に触んなって言ってんじゃん!」
完全に振り回されている。
抗議したところで、シーザーは余裕の表情を崩さない。
避けられていた頃に抱いた寂しいという感情が、酷く懐かしく思えた。
また同じ状況に陥って喜べるかと言ったら、否と答えるところだが。
結局、隣を歩く歩かないと揉めているうちにメッシーナ師範代に見つかって、揃って叱られてしまった。
二人の攻防は、師範代達やリサリサの与り知るもので、事有る毎に修行メニューが増えるのも日常となりつつある。
迫られる中で彼等に助けを求めても、修行に丁度良いなどとシーザーが誉められる始末。
これで百キロ息を乱さず走れるようになっても複雑である。
不毛なやりとりに疲れたジョセフは、いっそ受け流した方が効果的なのではないかと考えた。
逃げられると余計に追いかけたくなる。
人間の心理に基づいて修行後に部屋でシーザーの好きにしろと言ってみたところ、狙われたのは唇だった。
「バーカ、こっちはマスクがあるんだよ」
最初のキス以降は、ガードするのに成功している場所だ。
ざまあみろ。
お前が触れることは叶わないと、思わず挑発的な台詞が口をついて出た。
しかし、相手は何度かわしても、拒否してもめげなかったあのシーザーである。
「別に取れば良いだろ」
人の悪い笑みを浮かべて伸ばされる手に、ジョセフは身の危険を覚えた。
何当たり前のように言ってんだよ。
コイツ、マジで怖いんだけど。
「ま、待った!リサリサに怒られるぜ」
「また後で着ければ問題ない」
後でってどういう意味だ。
すぐに戻せよ。
つーか、外そうとするんじゃない。
「お前が誘ったんだろ、ジョジョ?」
顔近づけんな。
近い。近いから。
「じょ、冗談に決まってんじゃん。シーザーちゃんったら」
どうせ、マスクは外せない。
高を括って調子に乗ったのが悪かった。
シーザーの奴は、ちゃっかりジョセフを逃げ場の無い壁際に追い詰めていて。
「俺はいつだって本気だ」
簡単にマスクをジョセフから奪い去った。
ヤバい。
口を両手で死守して、相手の攻撃に備える。
「ジョジョ…」
頬に添えられる手は、以前よりずっと熱く感じられた。
眼を合わせてはいけないと思っても、一度交わった視線が逸らせない。
駄目だ。
飲まれてしまうと思った刹那。
「…なんて、期待したかスカタン」
チュッと鼻の頭にキスを落とすシーザーは、これまでのムードをぶち壊す軽い口調でジョセフの額を弾いた。
からかっただけだと言うが、目が本気だったぞクソ野郎。
期待なんてしてないけど、一回くらいなら構わないと思いかけた自分の心に不安を覚えずにはいられなかった。
「諦めろよ」
触れるだけのキスを唇だけを避けて、顔中に降らせるシーザーが殊更優しく囁く。
流されてしまえ。
低く掠れた声の誘惑。
僅かに揺らぎそうになるのを何とか踏みとどまるジョセフは、マスクを奪い返して唇に押し当てる。
早く、リサリサにマスクを着けて貰わなければ。
余計な言葉が口から零れる前に。
「諦めるのは、てめーの方だろ」
望みなんて無いんだから、さっさと諦めてしまえ。
捨て台詞を吐くなんて負け犬のようだ。
もしかしたら、既にコイツのキスの魔法とやらに掛かり始めているのかもしれない。
有りえないと否定しながら、急いで部屋の出口へと駆けだす。
対するシーザーは引き止めることなく、クスクスと可笑しそうにこちらを伺っていて。
「ジョジョ」
部屋を出る直前、呼ばれた名前の甘い響きに振り返りたくなるのを必死に堪えた。