キスとイカサマとチョコレート
二月某日。
数日前から既に色めき立っていたクラスの女の子達は、今頃決戦の日とばかりに気合いを入れているだろう。
下駄箱やロッカーには、既にプレゼントの包みがひっそりと置かれているのかもしれない。
もしくは、通学路の途中で意中の相手が通る瞬間を、今か今かと待ちわびている子も居るかもしれない。
そんな努力をいじらしいと思う反面、世の中の女の子は見る眼が無いんだなと隣を歩く男を横目で見て密かに毒気吐いた。
「今日くらい一人で行きゃ良いのに」
「はぁ?」
ボソリと呟いた嘆きは、運悪く隣に聞こえてしまったらしい。
「声掛けにくいんじゃねぇの?」
幼馴染みのスケコマシことシーザーは、浮名を流すだけあって毎年大量のチョコレートを女の子から貰っていた。
例年、嫌味のように見せつけられたジョセフからすれば、今更羨ましがるものではない。
何が鬱陶しいかって、あれだ。
一緒に居る時に、奴がチョコレートを渡されるのが面倒なのである。
女の子に渡されるシーンを見るのも馴れているが、やはり気まずいのだ。
あからさまに邪魔という視線を向けられはしないものの、席を外して欲しいと視線で訴えられることも少なくない。
「どういう心算だ?」
女の子含めシーザーも考慮した上での発言にも関わらず、目の前の男は不機嫌そうに眉根を寄せる。
「仮に一人で歩いてたとしてもお前がチョコレートを貰う確率が上がるとは、到底思えんが」
「てめーの話だよ、この色男」
人の痛いところを突きやがって。
ちょっと安心した顔を見せたのも、実に鬱陶しい。
そんなに優越感に浸りたいのかよ。
小馬鹿にしてんじゃねぇぞ。
「せーっかく、このジョセフちゃんが気を遣ってやってるのに、鈍い奴だな」
女好きのシーザーの為にあるような日だ。
ジョセフだって馬に蹴られたくはない。
「帰りは別行動な」
「駄目だ」
「何でだよ?」
放課後こそ、チョコレートをくれた誰かとよろしくやるところだろ。
女生徒に呼び出されるシーザーなど待つ気は更々無い。
そんなに数を自慢したいのか。
厭そうに顔を歪めるジョセフを、シーザーがギロリと睨んだ。
「ジョジョ…きさま、賭けを忘れたわけじゃあ無かろうな?」
「あれ、マジだったの?」
呆れた。
やれやれと首を振るシーザーは、一昨日の口約束を持ち出した。
鳥頭という眼で人を見るなよ。
ジョセフからすれば、普段の口喧嘩の延長戦だった賭けの話を、相手が本気にしているとは思わなかったのだ。
売り言葉に買い言葉。
深い意味などない。
一部を除きチョコレートを貰う宛がないジョセフをシーザーがからかって。
『てめーは、また山ほど貰うんだろうよ』
紙袋いっぱいのプレゼントを抱える姿を浮かべて忌々しげに顔を顰めるジョセフに、シーザーは当然のように告げた。
『生憎と誰からも受け取るつもりはない』
シーザーの口から発せられたとは信じ難い発言。
突然、真剣な声を出されて驚くジョセフだが、すぐに冗談がきついと笑い飛ばす。
『またまた〜シーザーちゃんに限ってそれは無いでしょ』
女の子に優しくがモットーで、ひとりで寂しそうな子を放って置けないと豪語する男だ。
プレゼントを断って女の子を哀しませることはしないだろう。
ジョセフが嘘だとばっさり切り捨てると、シーザーに凄まれた。
『俺は本気だ』
『無理無理。どうせ、口だけだろ?』
『なんだと!?』
『何なら、賭けても良いぜ?』
必死に否定する程、胡散臭く見えた。
だから、ふざけた提案を持ち掛けたのだ。
『おめーが女の子からチョコレートを貰わなかったら、舌入れてキスしてやるよ』
こんなの賭けにならない。
誰が好き好んで男とキスしたいと思うのか。
シーザーは賭けの報酬を嫌って、チョコレートを受けとると踏んでいた。
『良いぜ』
『本当に良いのかよ?』
『ああ。お前こそ、逃げるんじゃあ無いぞ』
『誰が逃げるかよ!』
しかし、シーザーは頭に血が上っていたのか、あっさりと賭けを快諾する。
この負けず嫌いめ。
冷静になれば、キスを拒んで負けを認めるに違いない。
この時点で、もう勝負は決まっているのだ。
故に、確認するまでもないと思った。
勝利を確信したジョセフは、賭けのことなどすっかり頭から抜けていた。
わざわざ自分で蒸し返すなよ。
「ちゃあああんと覚えてるようだな」
苦い表情をするジョセフに、シーザーは念を押すように微笑んでみせた。
眼が笑ってないのが、逆に恐ろしい。
まさか、勝ちにくる気なのか。
シーザーにとってメリットが無いはずの勝負を。
「約束、忘れるなよ」
女の子からチョコレートがひとつも貰えない上に、男とディープキスをするバレンタインデーてどうなんだ。
きっと、年々反応が薄くなっているジョセフをからかっているに違いない。
余裕かまして笑ってんじゃねぇぞ、クソッ。
今も動揺する様を見て、喜んでいるんだ、きっと。
そして、最終的に女の子からチョコレートを受け取って、勝ち誇った表情で自分の負けを宣言するのだ。
試合に負けて、勝負に勝つってか。
コケにしやがって。
新手の嫌がらせだと判断したジョセフは、シーザーの言葉を全く信じていなかった。
信じていたら、とっくの昔に逃亡していただろう。
数時間経て自分の軽はずみな発言を後悔する羽目になるなんて、思う訳がない。
放課後。
終業を告げる教師の声と同時に駆け出したジョセフは、下駄箱で捕まった。
一足遅かったか。
幼馴染みでもある男は、昼間流れた噂話もジョセフの性格も十二分に理解していた。
「遅かったじゃないか、ジョジョ?」
スタートダッシュを決めて遅いと言われる筋合いはない。
棘のある台詞にジョセフは唇を噛んだ。
この様子だと、誰からもチョコレートを受け取っていないのは、事実のようだ。
「下駄箱にも、無いぜ」
聞いてないのに、強調するなよ。
手ぶらであることを主張し、鞄の中まで見せようとするシーザーに引き摺られる形で連れ出される。
既に、風の噂で奴が悉く女の子のプレゼントを断ったと聞いていた。
あのシーザーが、何故。
熱でもあるのか。
はたまた、本命が出来たのか。
本命が居るとしたら誰だ。
クラスが違うのを良いことに、ゴシップ好きのクラスメイト達に囲まれて詰問されたジョセフは、疲れ果てていた。
何でコイツの色恋沙汰に巻き込まれなきゃいけないんだよ。
下校途中も、シーザーを待ち伏せる女の子が数人居て、恨めしげな視線を向けられる度、居た堪れない気持ちになった。
隣の男は気づいていても、特に興味を示さず、ジョセフにやたらと話しを振ってくる。
これじゃ、声を掛けられないだろうな。
クラスメイトの話によると、シーザーは事前に誰からも受け取らないと公言していたらしい。
一週間以上前から話題に上がっていたと教えられた時には、驚きを隠せなかった。
聞いてねぇぞ、オイ。
根回しバッチリじゃねぇか。
いつから企んでやがった。
表に出さず、平然とした顔で喋るシーザーにジョセフは苛立った。
しっかり腕を掴まれ、連れだって歩くうちに学校から段々と遠ざかる。
どこへ行くつもりかと尋ねようか考えて、すぐに必要ないと気付く。
見慣れた景色は、シーザーが一人暮らしをしているアパートへの帰り道と同じだ。
部屋にも無いことを証明するつもりかよ。
勝負にそこまで拘る神経を疑った。
くだらない事で度々張り合ってきたが、果たしてシーザーという男は、こうも負けず嫌いだっただろうか。
珍しい。
違和感についてぐるぐる思考を廻らせているうちに、奴の部屋の前に着いてしまった。
鍵を開けたシーザーに促され、勝手知った部屋の一角を陣取って座る。
「家捜しでもするか?」
不適な笑みでもって問いかけられ、首を横に振る。
シーザーの態度から推測して、目的の物があるとは思い難かった。
本当に実行するか、普通。
不貞腐れるジョセフを見たシーザーが、小さく笑い声を漏らす。
「お前の負けだ、ジョジョ」
近い。
顔が近いから。
よく二人の接する距離が近すぎると周りからからかわれることはあるが、今日は明らかに可笑しい。
シーザーの目がマジだ。
頬に両手を添えるなって。
「言っとくが、まだ負けたわけじゃねぇからな」
「フンッ。負け惜しみは見苦しいぞ」
コイツの好きにさせてなるものか。
シーザーが逃げ道を塞いだと思っているからこそ、チャンスはある。
ジョセフは手の届く位置に置いていた鞄から、銀紙と簡素な紙パッケージに包まれたチョコレートを取り出すと、シーザーの胸に押し付けた。
「ハッピーバレンタイン…シーザーちゃん」
まさか、土壇場でジョセフにチョコレートを押し付けられるとは思っていなかったのだろう。
シーザーは、瞬きを繰り返しながらも、ちゃっかり胸元のそれを掴んでいる。
「受け取ったな?」
シーザーが無言で頷くのを確認したジョセフは胸を撫で下ろす。
噂を聞いた時から、嫌な予感を覚えていたのだ。
単価の安い板チョコでも立派なチョコレートだ。
保険の為に、昼休みに購買に寄っていて良かった。
「これで俺の勝ちだな」
いい加減、離れろ。
ジョセフが勝利宣言と共にシーザーを押し退けようと伸ばした両手が、何故か掴まれる。
男なら素直に負けを認めろよ。
引導を渡してやろうと開いた口は、その時を狙ったとばかりに迫るシーザーの唇に塞がれた。
賭けはどうした、このクソ野郎。
入り込んできた舌を思い切り噛んで、力づくで引き剥がす。
悪ふざけにしては、やり過ぎだ。
胸倉を掴んで殴ってやろうと振りかぶった手は、真っ直ぐな眸を前に止まる。
「賭けは俺の負けだ」
「じゃあ、これは」
賭けの報酬じゃない。
その意味は。
「あんな賭けを承諾した時点で察しろよ、本当に鈍い奴だな」
眼を細めるシーザーの言葉が、全てを物語る。
嘘だろ。
嵌められたのは、こっちだ。
どう転んでも、こいつの勝ちは最初から決まっていた。
バレンタインデーに託けて、企んでやがったなんて。
酷い。
「こんなのイカサマだ…」
ジョセフが力なく呟けば、余計なことを喋るなと再びキスを仕掛けられる。
触れる唇は甘さなんて無く、ほろ苦さを孕んでいた。