空音アザレーア 02
作るつもりの無かった恋人。
思いも寄らない形で不本意ながら出来てしまった存在に、ジョセフはどう接するべきか考えなければならなくなった。
元は親友として付き合っていたし、好き合って恋人関係になったわけではないのだから、別に態度だって同じままだ。
時間が経てば、この茶番でしかない飯事の延長も消えて無くなる。
そう思っていたのに。
自然消滅を狙うジョセフの心など、最初から読めていたのだろう。
シーザーがそれを許さなかった。
本気でジョセフを恋人として扱おうとしてきたのである。
おはようのキスに始まり、唇を除いた場所へのキス。
手を繋がれたり、部屋では普段より密着したり、場合によってはハグなんてこともあったから、距離を取ろうとするジョセフと迫るシーザーとで格闘になるのは珍しく無かった。
他に変わったことと言えば、シーザーの部屋を訪ねる頻度が増えたことくらいか。
けれど、これはコイツに恋人が居ない期間は大体がそうで、付き合ったから変わったことでは無い。
部屋を訪ねて、そのまま泊まるのだって同じだ。
シーザーの作った夕飯を食べながらぼんやり考える。
「そういえば、おめーが彼女に飯作ったって話聞かねぇな。やっぱり、作ってたんだろ?」
シーザーの手料理を振舞われることもまた、恋人になる前から変わらないのだが、きっと歴代の彼女達にも腕を奮っていたに違いない。
ジョセフの確信を持った問いは、シーザーによって否定された。
「いや。皆手料理を食べさせてくれたな。自分が作りたいと言うから任せていた」
だから、女の子の前ではほとんど料理をしたことがない。
語られた事実は、意外なものだった。
否、女の子なら好きな奴に手料理を作って良いところを見せたいと思うから、自然なことなのかもしれない。
「ふーん。作ってとか言われねぇの」
「あまり得意では無いと言っていたからな」
そうすると作ってあげると言われるらしい。
これがスケコマシのテクニックか。
ジョセフが胡乱げな目を向ければ、シーザーが女の子は複雑だと苦笑いを零す。
男が出来てもあまり褒められない事柄もあるのだと言われ、敢えて作らないようにしていたことが分かる。
「勿体ねぇの」
この料理を食べられないなんて、残念だ。
ジョセフがシーザーに初めて出されて以来、気にいっているネーロを口に運びながら、うんうんと頷く。
「お前くらいさ。こうして俺が作るのは」
ジョセフの口端に着いていたらしいイカスミソースを指先で拭いながら当然のことのように言うシーザーに、何だか落ち着かない気持ちになる。
ジョセフだけが、こうしてシーザーの料理を食べ、味を知っている。
それは、特別なことのように思えた。
違うって。
あれだ。
恋人と友達の扱いは違うって奴だこれは。
あと、同性か異性かの違いだ。
気安いのだって、料理を作るのだって、相手が同性の親友だからであって、別にジョセフが特別とか、そんなことは無いはずだ。
「マルクは?」
ジョセフを除いて一番シーザーと親しいと思われる友人の名前を出せば、肩を竦められた。
「まさか」
「マジで!?」
「マルクなら彼女の手料理で十分だって断られたよ」
向こうから断られただけでなく、シーザーもマルクに振舞うのは御免だと言い張る。
「お前だけだよ」
念を押すように言われた声に含まれた甘い音。
あからさまなそれに、ジョセフは思わず仰け反った。
シーザーも最初は嫌々という態度が拭えなかったのに、段々と慣れてきたようで楽しんでいる節がある。
しかも、ここ数日を振り返ると、キスを除けば以前とあまり変わらないように思えた。
同性でなければ、周りから付き合っていると思われても仕方ない気がする。
普段気にすることの無かった距離や態度が、親友にしては行き過ぎていることに、今回のことでジョセフは気づいてしまった。
これは、良くない傾向だ。
気付くべきではなかった事実に、頭を抱えたくなった。
今後は、色々と考えねば。
まず、この巫山戯た関係をどうにかすることの方が先決なのだけれど。
自然消滅、もしくは相手の降参を望むジョセフの期待に反し、二日後にある休日の予定を尋ねたシーザーは敢えてデートという単語を使い誘って来た。
「デートだぁ?」
「恋人同士なら可笑しくないだろう」
あからさまに嫌がるジョセフに向けられる有無を言わせない笑み。
嫌なら今すぐ止めても良いんだぞ。
シーザーの目が言葉無く語った。
いっそ今この瞬間に止めてしまったら良いのに、逆に此処まできたら退けないという気持ちの方が強くて。
「……何処いくんだよ」
渋々といった態度で、結局了承してしまう。
だから駄目だと自分でも分かっているのに、つい意地を張ってしまうのはお互い様だ。
シーザーもジョセフが了承するとは思っていなかったらしく、少し間を置いて映画に行こうと言い出した。
「映画なら、あれで決まりだな」
ジョセフが話題のアクション映画のタイトルを上げた途端、シーザーから却下が入った上に、こそばゆくなるようなラブロマンス映画を見たいと主張してきた。
「無理! それこそ、ぜってぇ無理だって!」
何が哀しくて男二人でラブストーリーを観ねばならんのだ。
寒いというより、ムサイ。
傍目から見てキツイ。
女の子と一緒に観れば、ムードも出るのかもしれないが、空いてはジョセフである。
期待しろというのが無理な話だ。
ノーと首を振り、絶対に行かない。
この場から動かない意志を示し、断固拒否を訴えれば、シーザーは不承不承といった様子で言い分を聞きいれた。
「買い物くらいは付き合えよ」
「そんぐらいなら良いぜ」
週末によく二人で出かけていたから、今更デートという雰囲気にもならないだろう。
意識するような状況は出来る限り避けたかった。
デートと称したところで変わらないと高を括っていたジョセフと異なり、シーザーは本気でデートとして出かけるつもりだった。
それに気づいたのは、当日シーザーによって普段二人で入らないような店に連れられた時だった。
大通りから一本中に入った道に隠れる様にあった小洒落たカフェ。
パフェが人気だという店は、分かり難い場所であったものの休日ということもあり、若い女の子達で溢れかえっていた。
中にはカップルも居たが、ジョセフ達のように男だけという組み合わせは店内を探しても他にいない。
珍しいのだろう。
客だけでなく店員の視線がやたらと向けられているように思えた。
テーブルに案内される前から嫌な予感を覚えていたのだが、シーザーががっちり手首を掴んでいたせいで逃げられなかった。
ジョセフが欲しかった靴や服、そして漫画の新刊。
シーザーが切らしていた香水や、ついでに趣味のライターを見たり、街の中をあちこち買い物で歩き回ったりで疲れていたこともあり、騒いで体力を削りながら別の店に行くという気持ちにならなかったのも、ジョセフの逃亡を阻んだ。
午後のティータイムにはピッタリの時間帯。
街中では席が空いている店を見つけるのも中々難しいだろう。
全部、計算してやがった。
買物をしている間は、普段の親友としての顔しか見せなかったから、完全に油断していた。
シーザーは、これを狙っていたのだ。
居心地悪そうに身を縮めるジョセフを見守る双眸が、ゆっくりと細められ、ジョセフは慌ててメニューに視線を落とした。
嫌がらせにしては、上出来じゃないか。
「そういう魂胆かよ」
メニューで顔を隠しながら、シーザーを睨む。
ジョセフが勘弁してくれと謝るように促すには持ってこいだと苦々しく吐き捨てると、シーザーは不可解だと言わんばかりに首を傾げた。
「お前が前にここのパフェを食べたいと騒いでただろう」
「騒いでねぇし」
女友達から有名な店があると聞いて、シーザーにデートに使ってみればと教えたくらいだ。
世間話がてら自分も食べてみたいなんて言った気がするが、その程度。
覚えてすらいなかったし、この店がそうだとは全く気付かなかった。
「つーか、覚えてたのかよ」
話を振ったジョセフすら忘れていたのに。
こういうマメなところに世の女の子達は惹かれるのだろう。
「まあな」
当然だと笑うシーザーに嫌味は感じられなくて、純粋に連れて来たかっただけだと言われてしまえば、ジョセフも黙るしかない。
こういうマメなところが、世の女の子に好かれるのだろう。
畜生。
甘ったるい口説き文句より、こっちの方がよっぽど性質が悪い。
気恥ずかしくなって再びシーザーから視線を外し、メニューに並ぶ文字列を追う。
こうなったら、一番高いやつを食べてやる。
ジョセフが店員を呼び止めて注文を口にすると、シーザーもコーヒーだけを注文した。
てっきり注文にケチをつけるかと思っていたが、特に口を出されることなく、暫くしてパフェが運ばれてくる。
店で一番人気とあった苺パフェ。
有名な苺を使っているらしく、見た目に反して値段は実に可愛くないものだ。
ハート型に切った苺やチョコレートで作られた薔薇が女の子受けしそうだ。
今度、エリナを連れて来たら喜ぶかもしれない。
まずは味見だ。
一番上の苺を摘んで口に含む。
「んまいっ!」
甘さの中に僅かな酸味が混じる苺は瑞々しく、ジョセフはデートのことも、シーザーとのやりとりも忘れて、頬を緩ませた。
続いて、アイスをロングスプーンで掬って口に運べば、冷たいそれが舌の上で瞬く間に溶ける。
広がるバニラの味は濃厚で、苺とのバランスがとれている様に思えた。
これは、当たりだ。
嬉しくなって、一口、二口とぱくぱくと食べ続けていると、前から小さな笑い声が聞こえた。
「何だよ」
「美味そうに食べるなと思って」
笑うな、この野郎。
ジトリと睨むジョセフに、シーザーは徐に手を伸ばして。
まさか、キスをされるのでは。
この場では御免だと身構えると、指が唇の端をそっとなぞった。
「ガキみたいな食い方だな」
口に着いていたクリームを指でぬぐったシーザーは、それを自分の口へと運んで意地悪く指摘した。
恥ずかしいことしやがって。
この前もネーロのイカスミを拭われたばかりだが、あれはシーザーの部屋だから許されただけで、人目がある場所でするような仕草じゃあない。
ジョセフが食べている間、シーザーは変わらずにこにこと嬉しそうにこちらを見ている。
まるで、自分のことのように。
そうやって満足そうに笑うから、ジョセフは無言でパフェを食べ続けるしかない。
「美味いか?」
「んー、まあ」
素直に頷いてしまえば、シーザーが更に畳み掛けてくる気がして濁した答えを返す。
先刻、うっかり美味いとか零したのは、ノーカウントだ。
チラリと気付かれぬようにシーザーを観察しようとする度に、目線が合うものだからジョセフはこっそり様子を伺うことを諦めた。
逆に見つめ返してやると、更にシーザーの眸は甘く溶けた色を見せる。
胸焼けしてしまいそうだ。
シーザーと付き合った女の子達はこんな時に幸せを感じていたのだろうか。
ペリドットの澄んだ硝子玉に自分だけが映し出される様は、存外悪くない。
苦々し気な顔をしていたシーザは、そこにはいなかった。
あれだけ厭そうにしていたのに。
慣れたのか、割り切ったのか。
はたまた他の誰かと重ねているのか。
最近気になる女の子相手だとイメージしているのが一番可能性が高いな。
目の前に居るのはジョセフなのに。
何だか面白くない。
そこまで考えて、慌てて首を振る。
ストップ。
そうじゃない。
そうじゃあないんだ。
危うく絆されて、可笑しな方向に思考が進むところだった。
何か別の話題を探さなければ。
シーザーの顔ばかり見ているのも危険だと思い、テーブルに目を向ける。
そういえば、飲物しか頼んでないな。
半分程減ったカップには、砂糖が三つほど入ったコーヒーが残っていた。
パフェを頼めば良かったのに。
自分だって甘い物を好きなくせにカッコつけやがって。
どうせ、財布の中身も心許ないのだろう。
コイツは恋人に食事代を払わせることはしない。
スマートに会計を済ませ、何食わぬ顔で女の子に笑いかけるのだ。
ジョセフにまで気を遣わなくても良いだろう。
今までは、絶対に割り勘だった。
最後の一桁まできっちりと割り切ろうとするから、ジョセフが毎回細かいだの、いい加減にしろだの、言い合いになるのだ。
ジョセフが余分に払うと言っても、それも嫌だというから面倒なのだ。
言い出したら聞かないから、普段の割り勘と同じく素直に奢られておくとして。
折角金を払うなら、食べておくべきだとパフェのアイスと苺をスプーンで掬ってシーザーに差し出す。
「ジョジョ!?」
「ほい」
こんなに美味いものなのだから、コイツにも少しくらい分けてやろうと思ったのだが、何故かシーザーは口を開けることなく目を丸くして固まった。
「お、お前」
「シーザー?」
何なんだ。
口をパクパクと動かすだけで要領を得ないシーザーに、そうじゃない。
口を開けと言い掛けたところで、シーザーの僅かに染まる頬を見て自分が何をしでかしたか理解する。
まずい。
これは、こういう場所において、男同士でする仕草じゃあない。
いくらシーザーとのスキンシップに慣れているから、回し飲みや同じ皿の食べ物を食べているからと言って人前で見せてはいけなかった。
この状態は、間違いなくあれだ。
所謂、カップルが相手に食べさせるアーンというやつである。
同性でも女なら良かったかもしれないが、生憎とどちらも列記とした男である。
今更になって、周りの視線が一斉にこちらを向いているような気がした。
来店した時の比ではない。
好奇の目が肌に突き刺さるようだった。
シーザーへの意趣返しにはなるけれど、こっちのダメージも大きい。
「本気にするなよ、シーザー! こんなの冗談に決まってんじゃん!」
周囲のテーブルに聞こえる様に、ジョセフが大袈裟におどけてみせると、シーザーはハッと我に返った顔をしてジョセフを見る。
「ギリギリで俺が食べてやるつもりだったのに、シーザー引っかかんねぇし」
口を開けたら、かわしてやるつもりだった。
悪戯好きのジョセフらしく、軽い口調でごめんと謝ってみせる。
素で行動した後では、苦しく聞こえるが仕方ない。
行き場の失った手が気まずくて、慌てて自分の口に運ぼうとしたが、よりにもよってシーザーはその手を掴みやがった。
そして、スプーンを口に含んだのだ。
「美味いな、これ」
先刻の動揺はどうした。
綺麗に微笑まれ、ジョセフの方が恥ずかしくなる。
「残念だったな、ジョジョ」
お前の手には引っ掛からない。
ジョセフの悪戯は失敗したのだと宣言するシーザーだが、よくよく見るとその耳は未だ赤く染まっていて。
コイツも無理しているのだと分かると、ジョセフの身体から力が抜けた。
一体、どうしたいんだか。
恋人っぽく振る舞う癖に、ジョセフから行動に出ると慌てるから、分からないのだ。
嫌なら、拒めば良い。
無理だと一言シーザーが負けを認めたら、そこで終るだけの話。
意地の張り合いはジョセフも同じで、負けたくないという気持ちも分かるが、この女好きが変な噂をたてられて困りはしないのだろうか。
付き合うと言ったのも、シーザーが自棄になったからで、ジョセフは押し切られただけで。
落ち着いて冷静になれば、すぐにでも新しい恋人を見つけるはずで。
「シーザーお前さ」
早く本当に好きな事付き合えよ。
告げるべき台詞を言えなかったのは、シーザーが心非ずといった表情で、何処か遠くを見ていたからだ。
何か思うところがあったのか。
誰か、気になる子でも店の中で見つけたのか。
ぼんやりとした双眸に、ジョセフは映らない。
別に可笑しなことじゃない。
シーザーが眸に捉えて慈しむのは、可愛い女の子や、彼女で、ジョセフに向けるそれとは違うのは当たり前なのに。
何故か、胸が騒いだ。
「……呼んだか?」
少し遅れて返事をしたシーザーは、呼びかけられたことだけは分かったらしい。
こちらを見つめるシーザーの眸に、自分が居ることを確認して密かに安堵した。
あれだ。
いつもより近くに居たから感覚がマヒしただけだ。
それだけのこと。
深い意味はない。
聞こえなかったから、もう一度言って欲しいと言われ、ジョセフはパフェが入っていた器を指差す。
「食べ終わったし、出ようぜ」
コーヒーも僅かに残っているだけだったから、シーザーは特に疑うことなく提案に頷く。
テーブルに置かれた伝票を持ってレジに向かう途中、思いがけない言葉が投げかけられた。
「割り勘な」
「はぁ? おめーの奢りじゃねぇの?」
シーザーが伝票を持って先に進むから、てっきりそのつもりだと思っていた。
恋人の食事代は支払うんじゃあないのかと訴えると、女の子とお前は別だと返される。
「こういう特別扱い要らないんだけど」
「俺も今月余裕があるわけじゃあ無いからな」
「毎月のことじゃねーか」
苦学生が無理して生活費削ってデート代に充ててるのを知っているんだからな。
「しょうがねぇなァ」
不満を漏らしつつジョセフは自分の代金を支払おうと財布を出す。
口では文句を言っていても、女の子と同じ扱いではないのが実は嬉しかった。
けれど、シーザーが受け取ることはなくて。
「どういう風の吹き回しだ? 奢りじゃねぇんだろ?」
「こっちで貰っておく」
店の外に出たところで頬にキスを落とされた。
こんなの割り勘じゃない。
「謀りやがったな、この野郎ッ!」
「奢ってやったんだ。これくらい良いだろう」
こんなの挨拶みたいなものじゃないか。
余裕を見せるシーザーが憎らしく思えた。
「待ちやがれ、俺はまだ払ってねぇ!」
やられてばかりは、嫌だとお礼と言ってシーザーの肩を掴んで仕掛けたキスは、シーザーが動いたせいで頬から唇に位置がズレてしまった。
勢いをつけていたせいで止まることも出来ず、唇と唇が触れた。
シーザーの温度。
こんな感触だったのかと考える間もなく、揃って弾かれたように離れる。
「違う、これは間違えただけだッ!」
そんなつもりは無かった。
片手を振って弁明するジョセフに、シーザーは言葉無く何度も頷いている。
頼むから、笑い飛ばしてくれ。
冗談じゃないと青い顔で口元を抑えてくれても良い。
そんな願いも虚しく、シーザーは青くなるどころか、店でスプーンを向けた時より赤くなるから、ジョセフも釣られて赤くなる。
何だこれは。
「えーっと、これは事故ってやつで」
飲み会でキスするフリをした時だって、こんなに動揺しなかったのに。
シーザーだって、触るなと突き飛ばしていたくせに。
「ああ、分かってる」
分かっているという割に、シーザーはジョセフと目を合わせることは無くて。
「今日はこれで解散だ」
力ない声でジョセフに簡潔にデートの終了を告げ、背を向けて歩きだす姿から動揺が手に取るように分かった。
いっそ、もう無理だと恋人ごっこを撤回して去ってくれたらどんなに良かったか。
こんな気まずい状態で別れて、次にどんな顔をして会えば良いのか。
肩を落としたような背中が遠ざかるのを、見つめているとやがて姿は見えなくなり。
「はぁあああ。やっちまった」
漸く一人になったジョセフは、唇を抑えてその場にしゃがみ込んだ。
勘弁してくれ。
ほんの一瞬。
数秒にも満たない時間、触れた場所が熱を持つ。
たった一度きりのそれで、何かが始まってしまうような。
そんな気がした。
冗談と笑い飛ばして終わるつもりだったのに。