空音アザレーア 05


走って、走って、走って。
未だ止まない雨の中をジョセフは脇目も振らず駆け抜けた。
ただあの場から、シーザーから離れたくて、宛もなく彷徨う。
追ってくるとは限らないのに。
先回りしてジョセフの部屋の前で待ち構えているかもしれないなんて、可能性の限りなく低いことを心配して。
只管、シーザーを遠ざけることばかり考えていた。
けれど、どれだけ走っても追いついてくることは無かった。
いい加減走るのも疲れた。
後ろを振り返って、誰も居ないことに安堵すると、ジョセフは足を止める。
もしかしたら、連絡が入っているかもしれない。
期待と不安が混じる中、ポケットに押し込んだままの携帯電話は、沈黙するだけだった。
「げっ、これ電源入らねーじゃん」
シーザーのもとを飛び出してどれだけの時間が経ったのか。
液晶に表示される現在の時刻を確認しようとするも、携帯電話は一向に反応を示さない。
記憶が確かならば、充電はまだ残っていたはず。
それが全く動かないということは、水に濡れてショートしてしまったのだろう。
シーザーからの連絡どころか、時間さえ確認出来ない。
ある意味これで良かったのか。
ホッとしたような、残念なような。
複雑な気持ちが入り混じる。
「……帰るか」
連絡がこちらからも取れない状況では、友人の家に泊めて貰うことも出来ない。
ホテルに泊まる持ち合わせも今は無く、そんな気分にもなれなかった。
いつまでも雨に打たれてフラフラと歩き回ったところで、何か変わるわけでもない。
頭を過るシーザーの顔。
無かったことに出来たら良かった。
冗談だって笑い飛ばす余裕がジョセフには無く、言い訳する間もなく逃げ出した。
シーザーの呼び止める声は、聞こえなかった気がする。
きっと、あのまま呆然と部屋で立ち尽くしているに違いない。
此処まで追いつかれなかったのだ。
どうせ、最初から追いかけてなどいない。
それでも、部屋の前で待っているのではないか。
この状況で期待してどうするんだ。
我ながらおめでたい思考だと自嘲しながら、ジョセフは重い足取りで自宅へと向かう。
「やっぱ、いねーじゃん」
待っていたら、困るくせに。
追いかけてこなかったことを嘆く資格などない。
憂鬱な気持ちのまま、鍵を開けて部屋の中に身体を押し入れた。
そのまま、ずるずるとしまった扉に背を向けてしゃがみ込む。
肌に張り付く服が気持ち悪い。
ひとりになって落ち着いたことで、漸く肌寒さも感じてきた。
早く着替えてシャワーを浴びれば良いのに、縫い付けられたかの如く足が動かない。
扉にもたれ掛りながら、ぼんやりと部屋の中を見つめる。
何も考えたくなかった。
少しでも気を抜くとシーザーを思い出す。
脳裏に焼き付いた悲痛な表情。
あの後、どうしただろうか。
あれこれ考えて、それでも答えを出せずにいるのだろう。
拒絶してしまえば、それで済むというのに。
好ましいと思っていた情に厚く優しい性格も、こういう時に仇になる。
だからと言って、はっきりと突き放されても、ショックを受けたに違いないのだけれど。
今頃、ジョセフと同じくぐるぐると考え、それで。
「あー、止めだ止め」
考えるだけ無駄だ。
どこまでも沈みそうになる思考に声を荒げた。
グシャリと頭を掻き、大きく息を吐く。
無かったことになれば良い。
意地を張って付き合うことになったことも、キスしたことも、触れたことも。
全部、全部。
夢で。実はフラれたシーザーを前にして、グダグダと喋りながら酒を飲みかわしていたら、良かったのに。
「最悪だ」
勿論、夢なんかじゃない。
触れた感触は本物で、燻る熱は現実だ。
「クソッ」
雨で頭も冷えたと思ったが、携帯電話同様にショートしてしまったらしい。
触れてくる手の感覚を思い出したことで、中途半端に高められた熱が再び甦り、盛大に舌打ちした。
どうしようもなく、救えない。
知らぬフリをしていた恋心ってやつが、自覚した途端に厄介な事実を次々と突き付けてくるから性質が悪かった。
叶わぬ想い。
伝える前に失くした恋は、痛みと冷めない熱を持ってジョセフの中に消えることなく在り続ける。
「シーザー」
声にすれば、恋しさが募って。
諦めきれていない心を自覚する羽目になった。
畜生。
重い身体を引きずってシャワーを浴びても、気持ちが晴れることは無くて。
想いも何もかも肌を伝う水と共に、流してしまいたかった。



自分は常々丈夫な方だと思っていたが、案外繊細だったようだ。
雨に濡れ、着替えもせずに濡れた服のままでぼんやりしていたからか。
はたまた、あれこれ考え過ぎて頭がオーバーヒートしたからか。
悪い要因が重なり、翌日になってジョセフは風邪をひいて寝込んでしまった。
出来る限りシーザーに会いたくないと考えていたが、ショックを受けているとも思われるのも癪だった。
平気だ。
ただ、風邪をひいただけ。
気怠い身体を起こして立ち上がろうとするが、力が入らない。
節々も痛むし、頭が酷く重かった。
鼻水が止めどなく出る上に、咳き込むと暫く続く。
体温計を取りに移動するのも億劫なせいで計ることは出来ないが、恐らく通常より高いに違いない。
顔は火照るのに、身体が寒さで震える。
これは、流石に無理だ。
肘をついて中途半端に起き上がった身体を再びベッドに横たえ、きつく瞼を閉じる。
誰かに連絡を入れようとベッドの横に置いた携帯電話に手を伸ばすも、触れる直前で止まる。
動かないことをすっかり忘れていた。
昨日壊れてしまった為に電源も入らず、使い物にならない。
連絡を入れずに休んだら心配するだろうか。
シーザーの顔が不意に浮かび、慌てて脳内から追い出す。
気を遣われても困るし、顔を合わせたところでお互いに気まずさを味わうだけだ。
せめて、友人のスモーキーに連絡出来れば良かったのだけれど。
唯一の連絡手段を失っては、お手上げである。
まあ、良いか。
身体が自由にならない以上、頭だけ使っても仕方ない。
ぼんやりする思考に加え、痛みまで感じ始めると心底面倒になり、考えるのを止めた。
怠さは続くものの、身体は休息を求めているようで、自然と深い眠りに落ちていった。


そのまま眠り続けること数時間。
室内に響く機械音でジョセフが目を覚ました頃には、窓からオレンジ色の日が差し込んでいた。
倦怠感は相変わらずで、玄関に向かうことすら億劫であったが、何度も鳴り響く呼び出しに苛立って気力で立ち上がる。
よたよたとふらつきながら歩き、扉を開けたジョセフを待っていたのは、心配そうな顔で見上げるスモーキーだった。
一瞬でもシーザーを期待してしまった自分が、恥ずかしかった。
馬鹿馬鹿しい。
ジョセフが居ないことに気付いてを探すどころか、避けているに決まっている。
ましてや、昨日の今日で顔を出すはずがなかった。
「午前中からずっと電話しても出ないから心配したんだぜ」
「その…悪い」
疲れた顔を扉から出し、しゃがれた声で咳き込みながら謝るジョセフを見て、スモーキーは状況を悟ったらしい。
中で大人しく寝るように告げるなり、買い出しに行ってくると言って走り去った。
起き上がらずに済むように、出る前にちゃっかり鍵を預かるあたり気が利く。
いつもなら、此処でシーザーが。
違う。そうじゃない。
気を抜くとすぐシーザーと繋げる思考回路に、ジョセフは我ながら呆れた。
知らぬ間に育った恋心というのは厄介で、随分と諦めが悪いらしい。
息を切らして帰ってきたスモーキーがあれこれ世話を焼いてくれる度に、此処に無い面影を重ねる自分は、性質の悪い熱に犯されているようだ。
ゆっくり休むように。
明日は欠席すると伝えておくから、心配しなくて良い。
気遣うスモーキーの聞きながら、ジョセフは早くこの熱が引いてくれることを、ただ願った。

だが、その翌日も一応起き上がれるものの、回復したというには遠く、ベッドで過ごすことになった。
買い出しに行く気力すら無かった為、夕方になって引き続きスモーキーが訪ねてきたのは有難かった。
ノートのコピーやプリントを纏めて渡し、簡単に調理できるレトルトの食糧や、栄養剤、風邪薬に果物たっぷりのゼリーなど。
用意したスモーキーは他に必要なものは無いかと尋ね、あれば明日買ってくると言ってくれた。
「サンキュ! この借りは必ず」
「最近出来たバーガーショップ。今度、其処に付き合ってくれよ」
其処で奢ってくれたら十分だと明るく笑うスモーキーを見送ったジョセフは、ひとりになって項垂れた。
今日も、インターホンが鳴った時に、心のどこかで期待してしまった。
もしかしたら、シーザーがスモーキーから事情を聞いて訪ねてきたのではないかと。
勿論、そんなものは幻想で、扉を開けた向こうの見知った顔に落胆を見せぬよう、笑顔を貼り付けた。
駄目だ。
期待するな。
シーザーが姿を見せないことに、落ち込むなと言い聞かせるものの、気付けば無意識に動くことの無い携帯電話に手を伸ばすことが増えた。
病気は、人の心も弱くするってか。
部屋にひとりで閉じこもっているのも、更に悪循環を及ぼしている気がする。
明日になれば、今日よりマシになって登校できるだろう。
そう思っていたのだが、就寝前に飲んだ薬の効き目が良かったのか、ジョセフが次に目を覚ましたのは昼を過ぎた時間帯だった。
まだ、大丈夫。
一度意識が覚醒した際に予定の起床時間より早かった為、二度寝したことが仇になった。
今から準備して行くくらいなら、大事を取って休んでしまった方が良いだろう。
まだ喉は痛むし、熱が下がったとはいえ、本調子とは言えない。
伝えずとも、スモーキーが上手くやってくれているだろう。
数時間後には、またひょっこり顔を出すはずだ。
それまで、寝てしまおう。
小腹が空いた気がするけれど、食べたいという気分にはなれず、枕に顔を埋める。
寝過ぎで逆に眠れないかと思ったのは杞憂で、まだまだ身体は睡眠を欲しているらしい。
微睡むジョセフは、意識が途切れる直前、玄関の方で物音を聞いた気がした。
スモーキーが来たのだろうか。
ならば、扉の鍵を開けなければならないと思うものの、身体が動かない。
頭がぼんやりとして、浮遊感に包まれると、次第に音が遠ざかる。
結局、睡魔に負けたせいでその場で確かめることは出来なかった。
二時間程経った頃、ジョセフは喉の渇きを覚えて目を覚ました。
眠りに落ちる前のことを思い出して玄関に向かうと、丁度訪ねてきたスモーキーがチャイムを鳴らすタイミングで鉢合わせた。
「おめー、今来たのか?」
二度訪ねて来なかったかと聞けば、本日の訪問はこれが最初であると告げられる。
音がしたと思ったのは、夢の中だったのか。
ジョセフがスモーキーに気のせいだと言えば、ビニール袋を目の前に突き付けられる。
「これ昨日頼んだやつだよな」
買い出しメモに書きだした物の記憶を辿るジョセフに、スモーキーは別の袋を差し出した。
「それは、こっちさ」
では、先に出したのは何だったのか。
首を傾げると、スモーキーも不思議そうに肩を竦めた。
「ドアノブに掛かってたんだよ。誰か心当たりあるかい?」
「あー……」
一人だけ居る。
曖昧に頷くだけでスモーキーは事の次第を察したらしく、早く仲直りするようにと忠告して帰って行った。
袋を受け取ったジョセフは、片方を睨みつけると盛大な溜息を吐いた。
中には、スポーツドリンクと果物の缶詰が入っていた。
シーザーだ。
こんなことするのは、奴しかいない。
手紙やメモは入っていないが、ジョセフは確信していた。
インターホンは恐らく鳴らされなかった。
つまり、端から声をかけるつもりは無かったということだ。
顔を合わせたくないなら、放って置いてくれよ。
期待させないでくれ。
そう思いながら、あるはずの無い望みに縋って喜ぶ自分がいた。
壊れたままの電話に、シーザーから連絡が入っているかもしれない。
明日、会ったら聞いてみよう。
僅かに希望が見えたように思えた。
けれど、そんな甘い考えはすぐに打ち砕かれた。
翌朝、ジョセフが目の当たりにしたのは、キャンパスで美人と名高い女性と歩くシーザーの姿だった。
噂によると、二日ほど前から付き合っているらしい。
離れた位置でしか見えなかったけれど、共に楽しそうに会話をしている。
わざわざ腰を抱いて密着して。
ひそひそと耳打ちで会話する様に、気付けば強く拳を握りしめていた。
シーザー達の進行方向と逆に立っていたのは、幸いだった。
取り繕えないまま歪む顔を見られずに済んだから。
それが、お前の答えかよ。
分かっていた。
分かりきっていたはずなのに、しっかり傷ついている自分が居た。
何故、叶うと勘違いしてしまったのか。
「馬鹿じゃねーの」
見舞いの品について確かめるまでも無かった。
もう、こちらからシーザーに関わるべきではない。
悪い夢を見ていたと忘れるべきだ。
だからと言って、元の友達には戻れるかと聞かれたら、答えはノーである。
シーザーだって思い出したくない記憶に触れたくないだろうし、ジョセフもまた以前のように振る舞える自信はなかった。
学年と学部が違うのは、幸いだった。
重なる講義もなく、示し合せなければ滅多に鉢合わせることはない。
遠ざかる背中を見送りながら、ジョセフは密かに別れを告げた。
そして、その日のうちに壊れた携帯電話の修理を頼みにショップへと寄った。
データを預けていたお蔭で、連絡先が無事だったのは不幸中の幸いである。
生憎と写真等のデータは、駄目になってしまったけれど。
新しい番号にアドレス。
心機一転には、丁度良かった。
シーザーを除いた人間に変更の報告をしたくせに、肝心の奴の連絡先を消すことは出来なかった。
違う。
これは、万が一シーザーから連絡があった時の為で。
どうせ、この先連絡が来ることもないだろうけれど、一応登録しておいた方がいい。
なんて都合のいい言い訳を並べて。
登録ナンバーの最初に出てくるそれは、放置されたままになった。



それから一週間。
構内で見かけたのはあの日のみで、以降シーザーの姿を目撃することは無かった。
意図的に避けられているかもしれないし、偶然かもしれない。
関わりの無くなった今となっては、どちらでも構わなかった。
故に、シーザーに関する話を耳にしても聞き流していた。
周りが珍しそうに噂していても、気の無い返事をするだけ。
だって、信じられないだろう。
あのシーザーが、例の新しい彼女にフラれた上に、女の子を遠ざけているなんて。
付き合って間もなくの別れ話は決して珍しいものではない。
ジョセフの知るシーザーの最短記録を踏まえると、割と続いた部類に入る。
問題は、あのスケコマシが女の子に声を掛けなくなったという事実だ。
誘われても、やんわりと断る。
強引な相手には、少し冷たくあしらって。
一人の時は、ボーっと気の抜けた様子で、何処か遠い場所を見つめていることが多い。
皆が口を揃えて伝える事実に、ジョセフは戸惑いを隠せない。
あのシーザーが。
まさか。
最後に付き合った彼女が、余程気に入っていたのか。
もしくは、立ち直れないくらいこっ酷くフラれたのか。
ついに、本命が出来たのか。
シーザーはそれなりに有名だった為、周りは興味津々に動向を伺っているようだった。
しかし、ジョセフには関係の無いことだ。
どうなろうと知った事じゃないと思う反面、何故か胸がざわついた。
「随分と萎びてんじゃねーか。色男が台無しだぜ」
仮に、見つけたとしても声を掛けるつもりは更々無かった。
視界から追い出して、そのまま通り過ぎるはずの足が意志に反して動いたのは、偶然見かけたシーザーの姿が眼に余ったからである。
人目につきやすいベンチでぼんやりと空を見上げる双眸は、寂し気に翳る。
遠巻きに見つめている人間はジョセフの他にも居て、シーザーを見つけた女の子が嬉しそうに近寄って行ったが、一言、二言かわすとすぐに離れた。
僅かに覗いた顔が若干引き攣っていたことを見ると、割とはっきり断ったのかもしれない。
キザったらしい台詞を吐く余裕も無いってか。
噂通りだ。
あの女好きがまさか、こうなるとは。
ジョセフ自身、シーザーの変わりようを自分の眼で見て驚きを隠せない。
今までこれほどまでに、落ち込んだことがあっただろうか。
切なげな横顔を見たら、居ても経っても居られなくて。
逃げ出した雨の日のことなんて知りませんって顔で、シーザーに近づいていた。
目の前に立っても、すぐにはジョセフと気付かなかったようだ。
影が差し、まだ誰か来たのかと煩わしそうに眇められた眼は、ジョセフの声を聞くなり、大きく見開かれた。
どうして、お前が。
言葉にしなくても、はっきりと顔に出ていた。
ジョセフとてシーザーに近づくつもりなど無かった。
想定外のことだと心の内で言い訳しながら、やっぱ何でも無いと笑って誤魔化して立ち去ろうとした。
「煩い。……フラれたんだから、仕方ないだろう」
しかし、ジョセフが切り出すより早くシーザーが手を掴み、言い難そうに理由を話し始めた。
フラれたと聞いて、まず頭に浮かんだのは疑問だ。
お前が振ったんじゃないのか。
女の子の誘いを断っていたのはシーザーのはずだ。
「ふーん」
平静を装って、聞きたくもない失恋話に耳を傾ける。
タイミングから考えると、ジョセフが目撃したあの美人あたりだろうか。
その割には、続かなかったな。
ジョセフに吐露するということは、あの不可解な恋人とも呼び難い関係を無かったことにして、友人として接したいという気持ちの表れだろうか。
歩み寄る姿勢には悪いが、その案は却下だ。
未練も傷も無くなるには、まだまだ時間が掛かりそうだから。
暫く話して軽く宥めたら、さっさと退散しよう。
「しっかし、おめーがフラれてそこまで落ち込むとはなァ。今まで見たことねーぜ。相当の美人と見たね。今度俺にも教えて」
ジョセフにも紹介してくれと揶揄いを含んだ問いは、最後まで言い切る前に遮られた。
掴んでいた手を勢いよく引かれて傾く身体。
狙いすましたように、唇をかすめ取られ、慌てて飛び退いた。
手だけは、しっかり握られたままだったせいで、あまり距離を取ることは叶わない。
ジョセフが逃げることを想定していたのだろう。
腕に込められる力は、強い。
「お前だよ」
キスに驚いて声を荒げる前に、シーザーは固い声で真実を告げた。
真剣な眼差しに、迷いも嘘も見つけられず、余計にジョセフは混乱する。
「……何言ってやがる」
拒絶したのは、コイツだ。
向けられた戸惑いと後悔の表情を忘れたとは言わせない。
憤るジョセフに、シーザーが自嘲混じりに言葉を続ける。
「本当だ。お前に会えなくて死ぬかと思った」
「ねーよ」
だったら、何故追いかけて来なかった。
会いにこなかった。
避けて居たからでは、無いのか。
新しく恋人まで作って。
彼女は、ジョセフ相手では無理だったという意思表示だったのだろう。
冗談はよせと笑い飛ばそうとするジョセフに、シーザーが言葉を重ねる。
「確かめたかったんだ」
「何を?」
「お前じゃなくても平気だって」
「どういう意味だよ」
「諦められるなら、その方が良いと思った」
意味が分からない。
シーザーはジョセフのことを諦めたかったという。
諦めるも何も、あの関係を無かったことにしたかったのは、触れたくないと思ったのはシーザーじゃないのか。
「お前が抱いてみるかと聞いた時、俺が何を感じたか考えもしなかっただろうな」
眉を顰めれば、シーザーは苦笑いを零して。
「全てが欲しいと思った。他の誰の眼に触れないところで独占して、それで」
散々誤魔化していた気持ちに、突然向き合わされることになり、酷く戸惑ったと語る。
ジョセフと同じだ。
見ないフリをしていた感情を自覚せざるを得なくなって、それで後悔したというのか。
「んなこと言って、本当は嫌だったんじゃねーの」
都合のいい話があるか。
馬鹿にするなと殴り飛ばさなかったのは、掴む手が僅かに震えていたからだ。
震えるくらい辛いなら、さっさと離せ。
あの顔を思い出して苦々しく吐き出せば、違うと言って腕の力が強くなる。
「お前の思うような、甘い感情とは違う。だから、拒まれると思った」
拒絶されるのが、怖いって。
それは、こっちの台詞だ馬鹿。
人がどれだけショックを受けたと思っているんだ。
言いたい放題言いやがって。
訝し気な眼を向ければ、眉尻を下げて困ったように笑うシーザーに腕を引き寄せられた。
「好きだ」
切実な響きを持った告白に、心臓が大きく跳ねる。
恋人になれと迫った日の、迷いばかりが滲んだ勢いだけの言葉とは違う。
「諦めるのは無理だと分かったからな。」
親友じゃなく、恋愛感情として。
傍に居たい。触れたい。
不安に揺れる眸が、ジョセフの答えを待つ。
「ジョジョ」
甘い音で呼ばないでくれ。
「止めろよ。期待するだろ、馬鹿」
「その言葉に、俺が期待するんだが」
頭を振って拒否しても、シーザーは手を離さない。
逃がしてなるものか。
「嘘吐け」
「嘘じゃあない」
「どうせ、出来ねーくせに」
いざ、本番となって無理だと言われたら、流石に立ち直れない自信がある。
若干トラウマになっている出来事にジョセフが尻込みすると、シーザーが再びキスを仕掛けてきた。
触れるキスは、あの日と同じで、違った。
苦くて、胸をじりじりと焦がす。
唇を離したシーザーは、舌なめずりをして触れて良いんだなと確認してくる。
「試してやるよ」
「試すまでもねーって」
「怖いのか」
「てめーが考えてる意味じゃねーけどな」
「安心しろ。出来る限り優しくしてやる」
「だから、そうじゃねえって」
出来る、出来ないの押収は、付き合う流れになった際の意地の張り合いに似ていた。
ちょっと前までの弱気はどこに行ったのだと睨めば、シーザーも同様にこちらを強い眼差しで射抜く。
ジョセフを映すペリドットは、愛情と劣情が混じっていた。
あの時とは違う。
絶対に退いてはいけないと思うのに。
欲しい。
切羽詰った声が聞こえたような気がして、ぐらりと意志が揺らぐ。
そして、止めの一押しとして名前を呼ばれた時には、掴まれたままの手に誘われるように、立ち上がって歩き出す奴の後ろをついて歩いていた。




ジョセフの手を引いて部屋に連れ込んだシーザーは、切羽詰まった様子で唇を塞いできた。
もどかしそうに服を脱がされ、熱っぽい眼差しを向けられると勘違いしそうになるから、やめて欲しい。
すぐに、現実を突きつけられるに決まっている。
触れるのが限度だ。
ジョセフが目を逸らすと、シーザーが余所見するなとばかりに喉元に噛み付いてきた。
「止めるなら、今のうちだぜ?」
これ以上、惨めな思いにさせるな。
まだ傷は浅くて済む。
ジョセフが忠告に含んだのは、未だ信じきれない不安な心が発する声だ。
「それは、こっちの台詞だ」
なのに、シーザーは離してくれるどころか、嫌だと言っても止まってやれないと吐き捨てた。
疑うジョセフの心を見透かすように、昂ぶる自身を押し付けて。
手加減出来ないと余裕なく言った声に、きっと嘘は無かった。
けれど、信じられずに頑なに首を振って拒んだ。
その結果が、これなのか。
ベッドにうつ伏せに押し付けられ、腰だけ高く上げた状態でナカを貫かれる。
「あっ、ああっ、んッ」
肩口や腕にはお互い引っ掻き傷や噛み跡があった。
まるで喧嘩だ。
取っ組み合いになりながら、嫌だ止めろという抗議をねじ伏せて。
言葉とは裏腹に正直な熱を高められて。
何処で覚えてきたのか、あらかじめ用意されていたローションを塗りたくられた後孔に指を突っ込まれた時は、思い切り手を振りかぶって殴りかけた。
「抱いてみるかと聞いたのは、お前だろう」
振り上げた手を捉え、耳元で批難する声に唇を噛んで、拳を握った。
受け入れてしまっている時点で、想いを認めているのと同じだ。
口では嫌だと言いながら、望んでいる。
求められて、喜んでいるのだ。
シーザーが欲しいと言ったように、ジョセフもシーザーが欲しかった。
肌を合わせて、体温を分け合い、深く繋がって。
やがて絶頂へと導かれ、ナカに迸りを注ぎ込まれると、酷く満たされた気持ちになった。
荒い息を整えながら、恐る恐る後ろを振り返る。
振り向いた先に見た顔に後悔はなく、ジョセフと同じく幸せそうに緩む顔があった。
堪らなくなって、身体を離したシーザーを抱き寄せ、夢中で口づける。
「シーザー!」
「ジョジョ?」
必死に舌を絡めてぎゅうぎゅうと抱きつけば、優しく頭を撫でられ、額にキスを落とされた。
大丈夫。
この腕は、自分を拒まない。
「好きだ。俺も、お前のことが好き…何だと思う」
伝えていなかった想いが口から零れると、糸が切れたかの如く、感情が胸に一気に押し寄せた。
愛しくて、恋しい。
ジョセフが好きだと繰り返した分だけ、シーザーはキスを落としていく。


『誰よりも大切にするから、付き合って欲しい』

こうして、不器用な空回りから始まったおかしな関係は、本来あるべき形に変わった。