輪廻に馳せる夢の行方


ジョセフ・ジョースターには、両親が居ない。
ジョセフが生まれて間もなく、車の事故で夫婦揃って還らぬ人となったのだ。
同乗していた赤ん坊のジョセフのみ無事で、運び込まれた病院の医師に奇跡だと驚かれたらしい。
しかし、一人助かったのは良いが、親戚とはほとんど疎遠で引き取り手が現れなかった。
当然、そのまま施設送りになるはずだったところを、父の友人に引き取られた。
その間、どんなやり取りがなされたか、ジョセフは知らない。
何せ、赤ん坊の頃だから、はっきりしたことは分からないのである。

ジョセフの記憶は、顔も覚えていない両親ではなく、シーザーと名乗る男から始まっていた。
彼は、父が最も親しかった友人で、ジョセフの後見人となった。
二十歳という若さで、ジョセフを引き取り、ここまで育ててくれた。
二人だけの生活を寂しいとは思わなかった。
父と母の代わりに、シーザーは惜しみ無く愛情を注いでくれた。
宝物のように大切に扱い、守ってくれた。
ジョセフも彼に、甘え、同じように愛情を返した。
頭を優しく撫でる手を疑う余地なんて無かった。
傍から見ても、父と父を慕う娘という微笑ましい姿として映っただろう。

ただ、周りの見解と違ったのは、シーザーはジョセフの父では無かったことである。
生活の中で保護者たる立場であっても、父を名乗ったことも語ったこともない。
むしろ、父親扱いすることを嫌う節があるように思えた。
その為、ジョセフはシーザーのことを他人から聞かれる際、なんと答えるかべきか迷った。
大抵、家の話になると、周りは気を遣って痛ましげに顔を歪める。
お父さんも大変だろう。
親子二人を気遣う台詞は、どれも似たようなもので、耳にする度、ジョセフの心で違和感が大きくなっていった。

シーザーは父では無いのに。
前に一度だけ、不思議に思って口に出した時には、更に憐れんだ視線を大人から向けられた。
シーザーにその話をしても、気にするなとはぐらかされてしまう。
ある時は、友達に血の繋がりはなくとも、シーザーはジョセフの父親だから大丈夫だと励まされた。
亡くなったジョセフの父に気を遣っているのかもしれない。
だから、彼が自分の父でなければならないのかと思って、父さんと呼んだ。
喜ぶと思ったはずの顔は、やるせない表情に歪み、名前を呼ぶようにやんわりと諭された。
以来、本人の前で父と呼んだことはない。
外では建前上、紹介することはあっても。

シーザーは、ジョセフのことを何でも分かってくれた。
スカートが嫌だと言って半ズボンで駆け回るジョセフの怪我を、お転婆も程ほどにしろと呆れながら手当して。
長い髪が鬱陶しいと言って、シーザーが毎日結んでくれる髪を鋏で勝手に切ったら、ため息交じりに切りそろえて、似合うと櫛で梳いてくれた。
命に関わる危ないことをすると流石に怒られたけれど、お前のままで良いと言って自由に育ててくれた。
素直になれないジョセフを察して、先に手を伸ばしてくれた。
意地を張っても、仕方ないと笑ってくれた。
優しくて、自分にはとびっきり甘いシーザーが、ジョセフは好きだった。
その感情は、家族に向けるものだと思っていた。
否、確かに幼い頃のそれは、親愛のはずだった。

このまま変わらぬ関係が続くと思っていたある日、ジョセフは気付いてしまった。
シーザーが時折、違う眼で自分を見ていることに。
誰を見ているのだろう。
ジョセフを通して、此処では無い何処か遠くを見る眼差しは、切なさに満ちていた。
寂しい。
この時、生きてきた中で一度も味わったことのない孤独感に苛まれた。
『シーザー!』
彼の眸に映っているのは、自分なのに。
慌ててシーザーの手を取って、名前を呼べばいつものように微笑かけてくれた。
『どうしたんだ、ジョセフ?』
白昼夢でも見たのかと思った。
シーザーは、やはりジョセフだけを見ていて、ホッと胸を撫で下ろした。
気のせいだ。
何度も言い聞かせたが、不安は拭えなかった。

シーザーに想い人が居る。
よくよく考えれば、可笑しな話では無かった。
二十歳で他人の子供を引き取って育てることを決めたシーザー。
ジョセフは、彼の恋人らしき存在をの話を聞いたことがない。
もしかしなくても、自分のせいだろうか。
一緒になりたい誰かが居たにも関わらず、ジョセフが障害になって叶わなかったとか。
有りえないとは言い切れなかった。
『なぁ、シーザーは…』
何度も言いかけて、止めた。
仮に、肯定されてしまったら、どうして良いか分からなかった。
邪魔だとは言わないだろう。
放り出すことだってしない。
ジョセフもシーザーと離れる自分が想像出来なかった。
けれど、シーザーの一番は自分じゃあないのだ。
ジョセフの一番はシーザーなのに。
いっそ、血の繋がった親子なら良かった。

いつまで一緒に居られるのだろう。
次第にジョセフは、シーザーと過ごせる残りの時間について考えるようになった。
幼い頃、シーザーのお嫁さんになると宣言したことがあった。
絵本の物語に出てくる王子様とお姫様を見て、子供心ながらシーザーにお嫁さんが必要だと感じたからだ。
彼は駄目だとも、無理だとも否定することなく、ありがとうと額にキスを落とした。
楽しみに待っている。
子供の戯言に向けた台詞だが、今もジョセフの心に残っていた。
まさか、現実にはなるまい。
シーザーは、子供の夢を壊さぬよう宥めただけで、深い意味は無い。
未だにシーザーのお嫁さんになっても構わないと口約束を持ち出すあたり、呆れる。
同時に、今の自分にシーザー以上に大切な存在が居ないことを悟った。

このままでは、いけない。
思春期を過ぎて色めき立つ友人に誘われても常に断っていたが、良い機会かもしれないと考え、紹介された男の子と会う約束をした。
デートの日。
友人の忠告通り、滅多に履かないスカートを選んだ。
お陰で出掛ける前に、シーザーにバレた。
遅くなるな。
門限は守れ。
その程度の小言くらい覚悟したけれど、実際は違った。
行くな。
許可しないと頭ごなしに怒られる理不尽さに、唇を噛んだ。
人の気も知らないで。
押し問答の末、邪魔をするなと叫んで、家を飛び出した。
呼び止める声を振り払い、急いで待ち合わせ場所に行ったけれど、三十分の遅刻。
出だしが最悪なデートは、盛り上がりもなく、門限の数時間前にお開きとなった。
終始、イライラしながらシーザーのことを考えていたせいで、何を話したかは愚か、受け答えをちゃんとしていたかすら怪しい。
次に誘われることは無いだろう。
憂鬱な気持ちで家に帰ると、玄関でシーザーが待ち構えていた。
誰と会った。
何処に行った。
何を話した。
楽しかったか。
質問責めになり、ジョセフは怒るより、哀しくなった。
シーザーは、肝心なところで理解してくれない。
やはり、慣れないことなんてするべきじゃなかった。
そんな男は、駄目だ。
断言するシーザーに、どんな相手なら良いのか聞き返すと、途端に口籠った。
誰でも同じということか。
端から認める気がないのだ。
彼は、いつまでジョセフを子供として見るのだろう。
まだ早いという、この先も使いそうな台詞に、出口を見失った気がした。
手を離してくれないなら、一番にしてくれたら良いのに。
尋ねれば、他の誰よりもジョセフが大切だと答えるだろう。
平然と嘘を吐くシーザーの姿が想像出来て、ジョセフは泣きたくなった。
デートの日を境に、シーザーはやたらとジョセフを構うようになった。
彼は、誰を求めているのか。
あの後、シーザーより大切な人は居るかと問われたことがある。
すぐに浮かばないジョセフは、考える間もなく首を横に振った。
その際に目にしたシーザーの、縋るような眼が脳裏に色濃く焼き付いた。

やがて、シーザーの眼差しに同じ色を見る回数が増えていく。
ジョセフが成長するのと比例していたのは、単なる偶然だろうか。
誰かと重ねているのだろうか。
自分に似た人物で真っ先に浮かんだのは、覚えていない母の存在。
シーザーに見せられた写真と鏡とを比べたものの、似ているようには思えなかった。
精々、面影がある程度だ。
決定打とは言い難かった。
それとなく、母のことを尋ねてみても反応は薄く、誤魔化している様子も無かった。
ジョセフを通して、何を見ているのか。
シーザーの心が分からなかった。
彼の想い人も、見つけられなかった。

もしかしたら、シーザーは自分を見てるのかもしれない。
幼いジョセフとの約束を覚えていて、待っていてくれるのかもしれない。
ならば、何故目の前のジョセフを見ないのか。
遠い誰かを想うように目を伏せるのか。
自分を待っているなど、あるはずない。
答えを得られないまま、相対する考えを繰り返して。
家族ごっこの終わりを待った。



運命と呼ぶに相応しく、その瞬間はやってくる。
十八歳になった日、シーザーに指輪を贈られた。
告げられるプロポーズの言葉に、ジョセフは目を見開く。
違う。
間違っていると言いたいのに、言葉が上手く出てこない。
「ずっと、お前を待ってた」
愛しいものを見るように細められる眼は、置き去りにされた子供を思わせる寂しさを宿していた。
何度も眼にした、遠くを見据える眼差し。
今にも崩れそうな笑みにに、自分じゃないと伝える余裕もなく手を伸ばす。

指先が触れた瞬間、身体に電流が走るような感覚に襲われた。
突如、頭を過るいくつかの場面。
ぐらりと視界が揺れ、頭を押さえたまま床に膝をつく。
痛みは無かった。
脳内の処理が追いつかず、蹲るジョセフをシーザーの腕が抱きしめる。
ゆっくりと顔を上げた先、心配そうに覗き込む顔に過去の彼が重なり、自然と口が動いていた。
『…シーザー』
いつもの自分の声じゃない。
まるで他人のものように感じた声。
目の前の男は、一瞬ハッとした表情を見せた。
驚愕から歓喜へ。
眸に映る感情の変化を目の当たりにして、ジョセフは全てを理解した。
シーザーは、言葉通り自分を待っていたのだ。
「ジョジョ…」
ずっと呼びたかっただろう名を、シーザーは壊れた玩具のように繰り返す。
骨が軋まんばかりに抱き締められ、息が止まるかと思った。
いつから。
多分、彼はジョセフに初めて会った時から覚えていたに違いない。
探してくれたのかもしれない。
運命があったとしても、単なる廻りあわせだとは思わなかった。
どれだけ待っていたのだろう。
打ち明けたい心を隠して、現在のジョセフを通して過去を見て。
「「シーザー」」
もう一度、呼ぶだけで彼の肩は大袈裟に跳ねた。
普段より少し低い声は、現在と過去が混じったかのよう。


昨日のことのように、頭を廻る前世の記憶。
一気に流れてくる情報に軽い目眩を感じながら、ゆっくりと受け入れていく。
甦るそれらの断片がシーザーとのものばかりなのは、彼が傍に居る影響だろうか。
初めて会った日のこと、共に闘った日のこと、最悪な別れで彼を見送った日のこと。
――拙い約束をした日のことを思い出した。

いつもの口喧嘩の延長だった。
似合わない夢を語るシーザーに対し、無理に決まっていると茶化して。
『スケコマシのくせに、ロマンチストじゃない』
『煩ぇよ』
フラれたら、自分が結婚してやると軽口を叩いた。
シーザーは、苦い表情を浮かべて、間に合っていると切り捨てた。
勿論、ジョセフだって本気じゃない。
シーザーが本気にするとも思っていなかった。
『自分の心配した方が良いんじゃあないのか?』
『なんだと!?』
ムキになるジョセフをシーザーは笑って。
『お前なら、面白いし退屈しねぇかもな』
悪くないなんて言うものだから、ジョセフはふざけるなと叫んだ。
同じように、シーザーが隣に居る日々が悪くないと思ったのは、内緒である。
多分、あの頃から既に彼に惹かれていたのだろう。
共に過ごす修行の日々は辛くとも楽しくて。
想いを自覚して伝えるには、短すぎた。
失くしてから気付くという最も酷い結末。
シーザーが自分にどんな感情を抱いていたか、当時のジョセフに知る術は無かった。
仮に聞いたとしても、冗談に決まっていると否定していただろう。

でも、今は違う。
記憶の無いジョセフに向けるシーザーの愛情は本物だった。
新たに生まれてからずっと、彼と共に過ごしたのだ。
言葉無くとも断言できる。
存在を確かめるかの如く、顔を身体を彼の手が辿った。
恐る恐る覗きこむ眸に、自然と笑みが零れる。
ほんの少し前まで、あんなに大きく見えた存在が嘘のよう。
自信持てよ、馬鹿。
スケコマシと罵った彼は、一体どこへ行ってしまったのか。
「…ジョジョ、答えを聞かせてくれ」
そんなの聞くまでもない。
離す気など、最初から無いくせに。
肝心なところで弱気になるなよ。
「フラれて誰も居なかったら、結婚してやるって言っただろ?」
あの日の約束を口にすると、シーザーは破顔して。
「それはこっちの台詞だ、スカタン」
そっと、ジョセフの唇にキスを降らせた。
左手の薬指には、渡された指輪がはめられて、またしても強く抱きしめられる。
肩口に顔を埋めるシーザーは、泣いていたのかもしれない。
ジョセフは彼の背中に手を回しながら、遠い過去と続く未来に想いを馳せた。


少し先の未来。
二人は、三人になって。
自分はシーザーの隣で笑っているだろうか。
想い描くそれは、幸せに満ちていて。
今度こそ彼の夢が叶うよう、そっと祈らずにはいられなかった。