シンティランテ01
軽快なベルの音が響き、扉が開く。
此処は大通りより少し中に入った位置にひっそりと佇む小さなカフェ。
昼過ぎから開店し、夜はバーとして営業するその店には、まだ若い店主とその弟が居た。
白いシャツと黒地のスラックス。
同色のショートエプロンを身に纏うジョセフ・ジョースターは、入ってきた客の顔を確認してから明るい声と笑顔で出迎えた。
「いらっしゃいませ」
次いで店の少し奥から店主であり彼の兄であるジョナサンの声が掛けられる。
客を案内したジョセフがオーダーを取り、ジョナサンが調理。
ジョセフが出来上がった注文の品を客席に運ぶ。
良く似た兄弟の息の合った姿だが、それが見られるのは土日と限られた平日の夕方だけだ。
何故なら、ジョセフはまだ高校生で普段は学校に通っているからである。
元々、この店は一年前に彼等の父が亡くなったのを境に兄のジョナサンが引き継いだものだった。
親の遺産や保険金で暫くは大丈夫だ。
だから、卒業までは今まで通り生活しよう。
必死に説得するジョセフの主張を跳ね退けて、ジョナサンは当時在籍していた大学を中退した。
父が好きだった店を失くしたくない。
強い意志を持って語る兄を止めることなど出来なかった。
同じように学校を辞めて店で働くと言えば、自分の分まで学んで欲しい懇願され、空いた時間に手伝うこと条件に妥協したのだ。
時折、父を手伝っていたジョナサンでも当初は色々と苦労して疲れが目に見えていたものの、ここ半年は随分改善されたように思う。
客のオーダーも終わり、手持無沙汰になったジョセフは、カウンターの奥でせっせと夜の準備をしている兄の顔をこっそり伺いながら小さく息を吐いた。
店の売り上げを考えると微妙なところだが、もう少し暇な時間が続いて少しでも休めると良い。
穏やかな空気の流れる店内でジョセフがぼんやりと物思いに耽っていたその刹那。
カラン、カランッ。
来客を告げる音色が聞こえ、僅かに顔を歪めた。
空気読めよ。
本音を隠して笑顔を貼り付けようとしたジョセフは、入り口を見るなり表情を硬くした。
「何だ。てめーか」
「お客様だ」
客を名乗る男は、確かにこの店の常連だ。
ジョセフも何度か接客したこともあるし、顔を覚えている。
主に悪い意味で。
金髪碧眼のイタリア男。
毎度毎度、違う女の子を連れては歯の浮くような台詞を吐くいけ好かない奴だ。
女の子を連れた姿しか見ないと思ったが、ジョナサンの話だと一人で訪れることも少なくないらしい。
「チッ」
ジョナサンの手前、お前なんて客じゃないと言うことなど出来ず、席へと案内して水の入ったグラスとおしぼりを持って行く。
水を出す際にガタンと乱暴に置けば、カウンターから咎める声が届いた。
畜生。
「今日は女の子連れじゃねーのかよ?」
オーダーを聞くついでにからかってやれば、男はくだらないと肩を竦めて。
「用があって此処に来たんだ」
含みのある言い方に、ジョセフは厭な予感を覚えた。
どうか外れていてくれ。
こういう時の勘ほど良く当たる。
自身の直感が優れていることを知るジョセフの願いも虚しく、背後から足音が近づいてきた。
「やあ、シーザー。待っていたよ」
「兄ちゃんコイツと約束してたの?」
隣に立ったジョナサンが目の前の男に声を掛けたことで、予感は確信に変わった。
「ほら、昨日片付けて貰った部屋あるだろ」
「ああ…あれね」
このカフェの二階は兄弟二人が暮らす居住空間がある。
各々の部屋、リビングダイニングキッチンに風呂と洗面。
そして、物置になっている空き部屋が一つあった。
其処から物を全て移動するなんて、昨日になって突然言い出すのは可笑しいと思っていたのだ。
「其処に今日から彼が住むことになったんだ」
「はぁ?」
話の流れから展開を想像することは容易だったが、敢えてジョセフは驚いてみせた。
だって他人と、しかも気に食わない男と一緒に暮らすなんて有りえない。
「俺は嫌だ」
「ジョセフ。彼は僕がお世話になった人のお孫さんなんだ」
だから何だ。
確かにジョセフは兄を慕っているけれど、それとこれとは話が別である。
「別にウチじゃなくても…」
「シーザーの通う大学が近いんだよ。彼の住んでる寮が近々、取り壊しになることが決まってね」
困っていたから声を掛けた。
ジョナサンが子供をあやすように微笑むから、ジョセフは反論の言葉を失った。
いつだって、兄の笑顔とお願いには弱いのだ。
小さく頷くジョセフを見て、様子を伺っていたシーザーがニヤリと笑う。
意地の悪い笑みが心底憎らしかった。
「よろしくな、ジョジョ」
気安く呼ぶな。
むしろ、何故人の愛称を知っているんだ。
胸倉掴んで文句を言いたくなるのを堪え、ジョセフは軽く手を振って二人から離れる。
自分は関係ない。
共に暮らすとしても、とことん無視してやるとカウンター席に退避した。
「何だ。あの男が此処で暮らすのか?」
しかし、カウンターの真ん中の席にいつの間にか見知った顔が我が物顔で座っており、ジョセフの機嫌は更に下降した。
珈琲を飲みながら様子を伺っていたのは、ジョナサンの幼馴染みのディオである。
この男は、シーザーよりもずっと性質が悪い。
ジョセフにとって非常に面倒臭く、厄介な存在だった。
「そーだよ。つーか、今日もスーツかよ。日曜出勤とかご苦労サマなことで」
「面白くなさそうだな」
厭味が流された上に鼻で笑われ、さっさと仕事に戻れこのストーカーと心の中でだけ詰ってやる。
何故、ジョナサンはこんな男と十何年も付き合いを続けられるのか。
「それは、てめーの方じゃねぇの」
同じ学校に通っていた学生時代と違い、就職して生活リズムが変わって会う機会が減った中、時間を割いてまでジョナサン目当てに店へ週三回のペースで通うくらいだ。
会社から遠いのに態々足を運ぶディオだから、他人がジョナサンと暮らすことなど面白くないはずである。
「案外、兄ちゃん目当てだったりして」
あの女好きに限ってありえないと思うが、敢えて目の前の男をからかうつもりでカマをかけた。
しかし、男は何故か憐れみの目でジョセフを見て。
「あの男も苦労するわけだ」
などと訳のわからないことを吐いた。
「てか、昼間に来てるってことは夜は予定入ってんの?」
ほとんどの場合、ディオが店に顔を出すのは夜になってからだ。
閉店間際までカウンターでジョナサンと会話したり、働く姿を静かに見ていたり。
店の定休日前には、早めに店を閉めて密かに二人で飲み明かしていることもジョセフは知っている。
「貴様に答える必要はない」
ジョナサンを置いて女とデートとは思い難いから、抜けられない接待なのだろう。
少しでも顔を見に来るなんて健気だと思いかけて、この男にそんな単語は似合わないと慌てて馬鹿な考えを捨て去る。
コイツに容赦や情けなど必要ない。
「今夜、エリナ姉ちゃん来るって兄ちゃん嬉しそうに言ってたぜ」
ジョセフがとある女性の名前を挙げた途端、ディオの眉がピクリと僅かに動く。
ポーカーフェイスを装っているつもりらしいが、実に分かりやすい。
「邪魔出来なくて残念だったな」
意趣返しとばかりに笑うジョセフを無視して、ディオは忌々しげにジョナサンを睨んでいた。
後からねちねちと絡まれる兄の姿が想像出来て良心が痛まないことも無いが、向こうだって勝手に同居の話を決めたのだからお相子である。
ディオに倣ってジョナサンに視線を移すジョセフは、不意にシーザーと眼が合い思い切り舌を突き出してやった。
お前のことなど認めるかという主張を込めて。
ジョナサンに店はもう上がって良いから、シーザーの引っ越しの手伝いをしてくれないかと頼まれたジョセフは、勿論断った。
テストが近いと嘘を吐くジョセフに、ジョナサンは少しで良いからと食い下がる。
勘弁してくれ。
渋るジョセフに手を差し伸べたのは、意外にもシーザーだった。
大きな荷物は無く、自分一人で事足りる。
店を一度出た彼は、言葉通り肩掛けのスポーツバッグとスーツケースを一つ抱えて三十分もしないうちに戻ってきた。
部屋の案内を投げやりに済ませたジョセフは、そのまま自室に引き籠る。
嗚呼、憂鬱だ。
ベッドに寝転がりながら、これからのことを考える。
リビングやキッチン、風呂や洗面と言った共有スペースで鉢合わせるのは嫌だ。
だからと言って、居候如きに遠慮するのはもっと嫌だ。
「腹減ったなぁ」
ぐるぐると考えて頭を使い過ぎたのかもしれない。
部屋の時計を確認して、ジョセフは気付く。
「夕飯用意しねぇと」
なるほど、腹が空くわけだ。
窓から入る明かりもオレンジに染まっていた。
ゆっくりと身体を起こし、冷蔵庫の中身を脳裏に描く。
昨夜と今朝はジョナサンが食事当番だったから、足りないものがあるかもしれない。
「簡単なもので良いよな」
今夜は自分の分は要らないと言われていたことを思い出して、溜息が零れる。
いっそ、出来合いのものを買いに出かけるか。
悩むジョセフが扉を開けた瞬間、ふわりとバターの香ばしい匂いが鼻孔を擽った。
ジョナサンは、まだ店に居るはずだ。
訝し気にダイニングテーブルを見ると、パスタとサラダがそれぞれ乗った皿が二枚ずつ置かれていた。
「何で二人分用意してあるんだ?」
口から零れる疑問には、両手にカップを持ってキッチンから出てきたシーザーが答えた。
「頼まれたんだよ。夕飯はお前と一緒に食べてくれって」
ジョセフの行動を見越したジョナサンからの仲良くしろという無言のメッセージか。
我が兄ながら実にお節介だ。
やっぱり、明日文句を言ってやろう。
不満に唇を尖らせるジョセフにシーザーは、やれやれと首を横に振った。
「言っとくけど、今日だけじゃないぜ」
「…マジかよ」
それこそ冗談じゃない。
ジョセフの苦々しい表情に構わず、言葉を続けるシーザー。
「自分は中々時間が合わないから、代わりにって」
彼の意外な発言に、ジョセフは驚きに目を見開いた。
嘘だろう。
「そんなの」
「ひとりで食べるのは味気ないって。弟想いの良い兄貴じゃないか」
平日の朝は起きる時間が違い、昼は学校。
夜は仕事で共に食事を出来るのは、週に数えるほどしかない。
一年前までは、毎日食事を共にしていた。
互いにその日の出来事を話しながら笑い合っていたのと反対に、最近は仕事の話ばかり。
ほんの少し前の記憶が遠く思えて、思わず唇を噛んだ。
「…てめーに謂われなくても分かってるさ」
平気なフリは得意だったし、ジョナサンにも気づかれていないと思っていた。
ただ、優しい彼は弟を放っておけないと感じたのだろう。
兄を後ろを只管追いかけた幼い頃とは違うのに。
「でも、おめーとなら」
「ごちゃごちゃ言ってねぇでさっさと食え」
ひとりの方が良いと。
ジョナサンの気持ちだけ受け取ると言いかけた声を遮って、シーザーが無理やり手を引いて椅子に座らせる。
暴れて逃げようと思ったけど、ジョナサンの気持ちを思うと結局は踏み切れなくて。
「シーザーちゃんが寂しいならしょうがねぇよな」
フンッと自分の本意じゃないことだけは主張して、用意されたパスタにフォークを突き立てた。
ジョセフがパスタを口に運ぶのを確認したシーザーも、目の前の席について食事を始める。
「シーザーってさ、もしかして兄ちゃんのこと好きなの?」
揃って黙々と食べる中、静かな食事風景が落ち着かないジョセフがからかい交じりに尋ねる。
『好き』という単語に含まれたニュアンスを察したのだろう。
心外だと眉を顰められた上に、静かに食べろと注意された。
兄貴面しやがって。
面白くない。
「じゃあ、俺とか?」
「…お前を?」
昼間のディオの言葉が頭を過り試しに聞いてみたジョセフは、物凄く厭そうなシーザーの顔にほら見ろと此処に居ないディオを詰った。
アイツの勘違いじゃないか。
此処で僅かでも動揺したらおちょくってやったのに。
不貞腐れながらパスタを食べるジョセフを見て、シーザーは勝ち誇ったように口元を吊り上げる。
コイツは好きになれない。
最悪だ。
なんて悪態を吐く一方、ひとりじゃない食卓にほんの少しだけ喜んだのは、ジョセフだけの秘密だ。