シンティランテ04
ジョセフは、面倒なことが嫌いだ。
地道な努力なんて以ての外。
故にこうしてシーザーに勉強を教えられるのは、苦痛だった。
リビングのテーブルを挟んでマンツーマンとか怠すぎる。
「真面目にやれよ、ジョジョ」
「だってさー」
始めてから三十分も経たないうちに飽きたジョセフをシーザーが咎める。
そもそも、教えて貰わなくてもある程度は理解しているのだ。
与えられた課題をするのが億劫なだけで。
「シーザーちゃんだって忙しいでしょ?」
他人に構っている暇はないはずだ。
世の女の子がお前を待ってるぜ。
「俺一人で出来るからさー」
「その言葉を信じると思うのか?」
「信じて欲しいなァ」
わざと下から伺いを立てるジョセフ。
案外甘いコイツのことだから、これで上手くいく。
「無理だな」
はずもなかった。
「チッ…つまんねぇの」
あっさりと否定したシーザーに、ジョセフは舌打ちする。
甘えた声を出せばいけると思ったが、やはり相手が女の子じゃないと駄目か。
流石、スケコマシである。
別に期待していなかったから良い。
「終わらなかったら、夕飯抜きだからな」
「えー」
不満の声を漏らすなり、鋭い視線が突き刺さる。
「文句を言える立場かッ!」
「はい」
いい加減にしろと声を荒げられ、ジョセフは大人しく従った。
別に夕飯くらい自分でどうにでもなる。
問題は、シーザーがジョセフが課題を終えるまで口出し続けるだろうことである。
逃亡は無理だな。
ジョナサンにも後でチェックすると宣告されているから、やるしかなかった。
早く終わらせた分だけ、煩く言われなくて済む。
息を小さく吐いたジョセフは、改めて机の上の課題に視線を落とした。
嗚呼、面倒だ。
「お前やれば出来るじゃないか」
分からなかったら聞けと言われたのを無視して進めること一時間と少し。
記入の終わった用紙をシーザーに差し出して確認を待つ。
全て終わっていることを確認した男は、満足そうに目を細めて上出来だと褒めた。
正直、自分のことでもないのに誇らしげにするのか、ジョセフには理解出来ない。
「シーザーちゃんたら、誰にもの言ってるのン?」
「調子に乗るな」
反応に困って茶化してみれば、額を指で弾かれた。
「痛ッ!」
勢いをつけて撓る指は、地味にダメージがあった。
「これであの点数ってことは…わざとやってるんだろ」
褒めるのか、咎めるのかどっちかにしろよ。
普段、手を抜いていることを指摘され、ジョセフは唇を尖らせた。
あっさりと見破られたのは、今更驚かない。
一切、教えを請わないから不思議に感じるのは当然である。
シーザーなら、気付くに違いないと思っていた。
「だって面倒じゃん」
兄には口が裂けても言えない台詞。
ジョセフは悪びれることなくしれっと答えた。
対するシーザーは、特に気にした様子もなく溜息を吐くだけだ。
「上の学校に行く気が無いのか」
「あー」
「気のない返事だな」
「まあ兄ちゃんは俺に大学行って欲しいみたいだけど」
真面目に勉強とかやる気が出ないし、何より兄に負担を掛けたくなかった。
「頑張るってのは性に合わないんだよねぇ」
「ふぅん」
信じていない眼だ。
本心を見透かすようにこちらをジッと見つめるなよ。
「勉強してシーザーちゃんより頭良くなったら困るでしょ」
「俺がジョジョに?」
鼻を鳴らして小馬鹿にしてみても、いつもと同じように頭を撫でられてしまう。
「シーザーちゃんこそ単位大丈夫なの?」
「お前に心配されるとはな」
苦笑い混じりの声も優しい。
こういう雰囲気は苦手だから、勘弁してくれ。
こそばゆくて仕方ない。
「よっし!終わったから、俺は店に行くぜ」
穏やかな空気を断ち切るように、ジョセフは立ち上がる。
「良いよな?」
課題が終わり次第、店に顔を出すと兄と約束していたのだ。
シーザーが許可出したら、良いと。
「お前もどうだ?付き合ってくれた礼に珈琲くらい淹れてやるぜ」
何もしていないと言いつつも、誘いを断らなかったシーザーを連れてジョセフは店に向った。
店に揃って現れた二人をジョナサンは笑顔で迎え入れた。
カウンターに座ったらいいとジョナサンは言ったが、あれこれ告げ口されるのも嫌だったので、シーザーを奥の席に押し込んだ。
そして、すぐに珈琲を用意してくると言い残して、彼のもとを離れる。
途中、見覚えのある姿をシーザーが座る位置から少し離れた席で見つけ、ジョセフは眉を顰めた。
運が悪い。
ディオは今日来ないと踏んでいたから、完全にノーマークだった。
「よりによってアイツらかよ…」
漸くシーザーの監視から逃れられたと思ったら、更に厄介な奴らが居るとは。
これならディオの方が良かった。
項垂れるジョセフの脳裏に、前回の来店時の記憶が甦る。
時折、店で見かける厳つい風貌の三人組は、どこぞの企業のトップだという。
重役の割にスーツが笑えるくらい似合っていないが、偉そうな態度に納得できる部分はあった。
単に時間を調整しているのか、はたまた息抜きか。
注文した飲物片手に数十分会話をして、店を出て行く。
その彼等のどこが厄介かと言うと、暇つぶしとしてジョセフにあれこれちょっかいを出してくるのだ。
兄のジョナサンではなく、決まってジョセフに。
特に初対面で失礼な態度を取ったわけでもなく、思い当たる節が無いから理不尽な話である。
「捉まると長いんだよなァ」
中々解放してもらえないのも、敬遠する理由の一つである。
逃げていると言われようとも、極力関わりたくない相手だった。
そっとカウンターの中に隠れようとしたところで、ジョナサンに呼び止められる。
笑顔でエプロンを手渡されたジョセフは、受け取るしかない。
「流石ジョセフ。随分と早く課題が終わったんだね」
「おう、バッチリだぜ!」
凄いと褒められるのは嬉しい。
「丁度、夜の仕込みをしようと思っていたから助かった」
喜ばれて頼りにされるのは悪い気がしないけれど、今だけは遠慮願いたかった。
「じゃあ、これお願いするよ」
珈琲が入ったカップを渡されて運ぶように指示されたのは、つい先刻視線を逸らしたばかりの場所。
行きたくない。
しかし、学校の成績のことがあった手前、手伝いすら出来ないと思われたくなかった。
速やかに運んで戻ろう。
シーザーも放置した状態だから、忙しい素振りを見せれば良い。
腹を括ったジョセフは、エプロンを身に着けて踏み出した。
「お待たせしましたー」
なるべく目を合わせないように、カップを置く。
「また貴様か」
声掛けてくるんじゃねぇよ。
嫌がっていることを分かっていて敢えて話掛けてきたあたり、性格が悪い。
今こちらに声を掛けたのは、一番偉いカーズとか言う奴だったはずだ。
向かいに座る二人からそう呼ばれているのを聞いた。
「どーも」
チラリと相手を見ながら、おざなりな返事をする。
お偉いさんが一学生にわざわざ声とか掛けるなよ。
「相変わらず似合わないな」
それは、てめーらのスーツのことだよ。
鏡を見ろ。
こちらを見てニヤニヤと笑う男二人の顔面を殴ってやりたい衝動を抑え、引き攣った笑顔を貼りつける。
その際、通路側に座る男が少しだけ申し訳なさそうに眉尻を下げたから、彼に見えるよう小さく口端を持ち上げた。
三人の中で一番下っ端になるだろうワムウという男だけは、嫌いでは無かった。
こういう奴こそ上に立つべきだよな。
てか、今回も長々と話を続けるつもりか。
忙しくないのか。
カーズ達とのやりとりに辟易していたジョセフが、助けてくれないかと再びワムウに視線を向けたその時。
ガシャンッ。
背後から大きな音が響き、慌てて振り返る。
一体何事だ。
音の方向を振り返ると、シーザーの机に水がぶちまけられていた。
ジョナサンが水だけ先に持っていったのだろうか。
「ジョセフ、布巾を」
状況が把握できないジョセフをジョナサンが呼び寄せる。
助かった。
カーズ達から離れる口実が出来た。
急いでカウンターに戻り、布巾を受け取ってシーザーの座る席に向かう。
「シーザーちゃんも意外とドジだねぇ。自分も水被ってるじゃん」
テーブルの上で盛大に零れていた水とシーザーとを見比べ、ジョセフは肩を竦めた。
幸い、グラスは割れていないようだった。
「…すまん」
「髪まで濡れて水も滴るイイ男ってやつでも目指してるの?」
コップを倒したというより、思い切り叩きつけた勢いで中身が溢れたかのような状況。
珈琲をすぐに持ってこなかったから苛立ったとか。
有りえないよな。
店に来る前だって不機嫌な素振りは全く無かった。
「水また持ってくる? それとも珈琲だけで良い?」
水を布巾で吸い取りながら、シーザーの返事を待つ。
「アイツら何だ?」
そのシーザーはジョセフの質問に答えることなく、何故か自分の疑問をぶつけてきた。
聞いてるのはこっちだろ。
水だけ持ってくるぞ。
更にそれを頭からぶちまけるぞ、この野郎。
文句を言う立場のはずのジョセフが、逆に睨まれる意味が分からない。
シーザーの珍しい剣幕に、お前に関係ないだろという言葉を飲み込んで答える。
「どこぞの企業のお偉いさんだってさ」
会話の流れでそれとなく聞いただけで詳しくは知らない。
詮索しようとも思わない。
「よく来るのか」
「たまーにね」
決まった周期ではなく、フラリと現れる。
いつ見たっけ。
その程度の認識でありながらインパクトが強い為、頻繁に来ているように思うだけだ。
「ああやって声をかけてくるのか」
「割とね」
答えるべきか迷って、結局素直に白状した。
「お前は、もう少し」
途端、シーザーの表情が曇り、言葉が切れる。
「え?」
「いや、何でも無い」
言いかけて止められると気になる。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
問いつめたけれど、はぐらかすだけで答えない。
その割に、シーザーの顔は険しかった。
絡まれていると思って心配したのだろうか。
つくづく世話焼きな性格である。
あれくらい平気なのに。
「スケコマシのくせに」
気遣う相手が違うだろ。
ジョセフの勘は当たったようで、シーザーはカーズ達が店を出るまでジョセフに注意を払っていた。
感心を通り越して呆れた。
彼にその事実を指摘しても、酷く不可思議な顔をされて。
「何言ってんだ、お前?」
「無自覚かよ」
気付いていなかったのかと脱力する。
これまたややこしい男だと毒気吐いた。
自覚したら自覚したで困るけれど。
ジョセフは、シーザーの態度に慣れる一方で違和感を覚えることが多々あった。
何かと言われると、最近思い当たるのはあれだ。
やたらとシーザーが早く帰ってくることに関してである。
ジョナサンに頼まれたからと言って、律儀に毎日続ける必要は無いのに、シーザーはほぼ毎晩ジョセフと夕食を共にしていた。
実際、居候を始めた日から暫くは、居ないことも多かった。
それが、今では共に食事をする日の方が多くなった。
例えば、帰ってくるのがいつもより遅かった日。
朝帰りかと思ったのに、珍しいといえば、何故か恨めしげに睨まれた。
「お前のせいだ」
「何でだよ」
ジョセフが望んだのではないし、ジョナサンに頼まれて引き受けたのはシーザーだ。
別に、毎日一緒でなくても良いと過去にも言った。
言い掛かりだと反論しかけて、ある可能性に思い至る。
もしかして。
「何?シーザーちゃんてば、俺が一人になるの心配してくれてんの?」
「……」
冗談で言ったのに、真に受けるなよ。
カマ掛けのつもりで口にした台詞は、シーザーの動きを止めてしまった。
マジかよ。
口を押えバツが悪そうな表情を見せるシーザーに、ジョセフも反応に困った。
いやいや、ここは否定するとこだろ。
「馬鹿か、思い上がるなよジョジョ…!」
ワンテンポ遅れてやっと返された反論。
嘘を吐くならもっと上手く立ち回れよ。
バレバレだっての。
前なら間髪入れず、嫌そうな顔を浮かべていたのに。
こちらの調子まで狂ってしまうではないか。
随分と毒されてきている。
これは結構まずいかもしれない。
重苦しい沈黙を振り払うかの如く、ジョセフはバシバシと思い切りシーザーの背中を叩いて。
「そうだよな!あるわけないよな!」
不自然なまでに明るい声で同意を示すのだった。