シンティランテ06


どうか、忘れてくれ。
ジョセフの願いが通じたのか、シーザーは酔っていた時の記憶がないように見えた。
起きてくるなり、ダイニングテーブルにグッタリと項垂れる男は、水をくれと呻く。
帰宅する前から大分アルコールを摂取していたらしいから、二日酔いになるのも当然のことか。
あまりに自然な態度に身構えた自分が馬鹿みたいだ。
何だよ、コイツ。
覚えてないことに安堵する反面、自分だけ意識する状況に苛立ちを覚える。
人のこと振り回しやがって。
シーザーが来てから、ジョセフの生活は変わってしまった。
止めだ、止め。
考えるだけ無駄。
度を越えたお節介男のことなど気にするべきじゃない。
アルコールの匂いが残るシーザーを見下ろすジョセフは、小さく息を吐いた。
「ほらよ」
シーザーの前に水を置くと、手首を掴まれる。
「何だよ?」
ギクリと跳ねそうになった心臓を空いた手で押さえ、無愛想に聞き返す。
とっとと離しやがれ。
振り払おうとしたジョセフに気づいたシーザーの手の力が強くなる。
「昨日、俺はお前に何かしたか?」
尋ねられて馬鹿正直に答えるわけねぇだろ。
男にキスされて殴り飛ばしましたなんて、言えるはずがない。
心当たりがありそうな言い方に、ジョセフは動揺を隠して平静を装う。
「べっつに〜。酔ってひとりでひっくり返ってたことしか知らねぇぜ」
煩かった。
鬱陶しかった。
厭そうな顔で酒も程々にしろと吐き捨てる。
実際、朝になって自室から顔を出したジョセフが見たのは床に転がったままのシーザーの姿だった。
多少なりとも思い当たる節があるのか、シーザーは気まずそうに視線を泳がす。
いい加減手を離せよ。
抗議しようと口を開くも、音にする前に遮られる。
「目が赤くなってる。眠れなかったのか?」
頭が痛い、気持ち悪いと嘆いていた弱々しさはどこへやら。
真面目な声音に、ジョセフはたじろぐ。
シーザーの人差し指が目元をそっとなぞった。
目敏い奴だ。
自分がしんどい時まで人の心配してんじゃねぇよ。
ついでに話もすり替えるな。
お前が酔って面倒だった話をしてたとこだろ。
てめーのせいだと言いけて止める。
追及されたら堪ったもんじゃない。
「誰かさんが喧しくて寝付きが悪かったんだよ」
「人が何回起こしてもぐーぐー寝てる奴がか?」
信じてない眼だ。
ジョセフの真意を探ろうとする双眸。
頭痛や吐き気が酷いなら、大人しくしてろよ。
妙に察しの良いシーザーに苦々しい気持ちがこみ上げる。
「これに懲りたら、前後不覚になるまで飲まないこったな」
今回は記憶がなくて助かったが、もとはと言えばシーザーが酒に溺れなかったらこうはならなかったのだ。
腕を振り払い、背を向ける。
覚えてないお前が悪い。
悔しかったら思い出してみろ。
否、やっぱり思い出すな。
「おい、ジョジョ…!」
「話はまた帰ってから聞くぜ」
このままじゃ、遅刻する。
尤もらしい理由を並べ、シーザーを置いて家を出た。
後からと言ったものの、これ以上話すつもりは全くもって無かった。




玄関の鍵をゆっくり回して、静かに扉を開ける。
キョロキョロと人気が無いことと、シーザーの靴が無いことを確認して部屋の中に滑り込んだ。
酔い潰れて寝ているかもしれない。
危惧した可能性は杞憂に終わったようだ。
単位とか抗議がどうのって今朝呟いていたから、あれから大学に向ったのだろう。
「さて、鬼の居ぬ間に逃げますか」
ジョセフは、ダイニングテーブルの上にメモ用紙を置いた。
外で食べてくるから夕飯の準備をしなくて良いという旨を書いたものだ。
逃げたと思われようが、知ったことか。
食事の席で向かい合って昨夜のことを逐一聞かれるなんて御免である。
飯が不味くなるっての。
どうせ、二日くらいで忘れるだろ。
それまで、のらりくらりとシーザーの言及をやり過ごせばいい。
厄介な世話焼き体質相手であっても、自分なら大丈夫だ。



僅かな態度違いなら気付かれない。
「お前、俺を避けてるだろ?」
甘く見たのが、そもそもの敗因だったのか。
シーザーという男が相手だった時点で、負けていたのか。
「気のせいじゃない?」
三日目にしてシーザーに問い詰められたジョセフは、内心舌打ちした。
よりによって出掛けに呼び止めるなよ。
学校に遅れると言っても、まだ間に合うと言われて逃げ道を失う。
夕飯から逃げたのは、一度だけ。
他は自然に振る舞っていたはずだ。
確かに、あの夜の話題が上がりそうになる度にはぐらかしてはいたが、シーザーは特に気に留めていないようだった。
だから安心していたのだ。
この機にお節介を受け流し、それとなく距離を作っても分かりはしないと。
それが、どうしてバレた。
「嘘だな」
「断定すんなって」
自分のことのように即座に否定するシーザーが疎ましかった。
コイツの全部分かってるみたいな態度が苦手だ。
「ジョジョ」
「触んなッ!」
当然の如く伸ばされた手を、無意識に叩いていた。
シーザーは、こうやって簡単にジョセフに触れてくる。
それ故に、キスしても平然としているし、何も思わないのだ。
もしかしたら、酔った日のことだって、寝惚けた朝のことだって覚えてるのかもしれない。
忘れたフリをして、ジョセフの反応を楽しんでいるのかもしれない。
だって、可笑しいだろ。
女より優先するとか馬鹿じゃねぇの。
「もう俺に構うなよ。兄弟ごっこなら間に合ってるっての!」
苛立ちのまま叫べば、シーザーが目を見開いた。
自分が傷ついたみたいな顔するなよ。
ふざけんな。
「鬱陶しいんだよ!」
これに懲りたら、可愛い女の子にだけ優しくしろ。
最初から、はっきり言えば良かったんだ。
立ち尽くすシーザーを残し、ジョセフは部屋を飛び出した。
踏み込まれるのは好きじゃない。
他人に振り回されるのも同じく。
そもそも、ジョセフはシーザーと暮らすことに反対していたのだ。
「もう口出してこねぇだろ」
清々した。
追って来ないのを確認して、ホッと息を吐く。
夕飯も一緒に食べることは無いんだろうな。
不意に浮かんだ考えは、何故かジョセフの心を暗くして。
「買い出し行かねぇと」
気のせいだと、言い聞かせるように考えを振り払った。





全て終わったと思っていた。
シーザーはもう自分に干渉しないと思った。
だからこそ、驚いた。
当たり前だ。
あんなやりとりをしながら、放課後にシーザーが学校前の通りで待ち伏せているとは考えない。
道路脇に停めたバイクにもたれ掛る男を目にした途端、ジョセフの顔色が変わる。
「待ってたぜ」
「女の子侍らせてか?」
シーザーの傍らには数人の女子生徒の姿。
単にナンパしに来ただけじゃねぇのか。
ジョセフの訝し気な視線を無視して、シーザーが肩を掴む。
手加減が無い力に痛みを感じた。
ジョジョの知り合い?なんて周りの女の子達が聞いてくるが、答える余裕は無かった。
彼女達の眼には穏やかに談笑する二人の姿に見えるのかもしれない。
知り合いじゃない。
気に入ったなら、このスケコマシを連れて行ってくれ。
「コイツ借りるよ」
ジョセフが言うより早く、シーザーが女生徒を牽制する。
次の機会を楽しみにとかほざくより、今すぐ相手してやれよ。
「だーれが、てめーに着いてくかッ!」
女の子と話している隙を突いて、逃れたジョセフは一目散に走り出す。
バイクが入れない小道に出たら、こっちのもんだ。
学校から自宅までの地理ならジョセフの方が詳しい。
灯台下暗しという言葉があるように、街の雑踏に紛れるより慣れた家の方が安全である。
抜け道を通り、大通りを気にしながら家路を急ぐ。
そして、漸く見えた兄が営む店の看板と我が家。
シーザーのバイクが無いことに安心したジョセフは、店内に駆け込んだ。
「兄ちゃん匿って!邪魔しないから!」
「どうしたの?」
「追われてんだよ!」
「…少しだけだからね」
慌てた様子で入口から現れたジョセフを、ジョナサンは呆気に取られつつも温かく迎え入れてくれた。
「ごめん」
カウンター内に入り、しゃがみ込んだまま謝る。
ジョナサンの迷惑になりたくないと思っていても、他に行く場所が無かった。
いつだって最後に頼るのは、兄なのである。
「シーザーと喧嘩したの?」
「…してない」
喧嘩じゃない、これは。
てか、何でシーザーが原因って分かるんだよ。
ジロリと恨めし気に睨むと、ジョナサンはクスリと笑った。
「仲が良いからね、君たちは」
「どこが!?」
気付いていないのか。
不思議そうに尋ね返されて、ジョセフは困惑する。
シーザーが勝手に世話を焼いてくるだけだ。
「僕からすると、少し妬けるくらいさ」
面白くない。
子供っぽい表情を見せる兄にジョセフは、破顔した。
「兄ちゃんは特別!あのイタ公と一緒なわけないじゃん!」
最近、ジョナサンとあまり話が出来ていないから、嬉しかった。
大体、シーザーと仲が良いなんて冗談じゃない。
「ありがとう。でも、仲直りはした方が良いよ」
「だから、俺は別にあんな奴…」
「その割には元気ないように見えるけど」
ジョセフが飛びつくと、ジョナサンがぽんぽんと頭を撫でる。
やっぱり、シーザーの時と違う。
違和感を覚える自分に、少し戸惑った。
求めているものじゃないと思うとか、ありえないだろ。
「本当に喧嘩じゃないの?」
「違うって」
実際、喧嘩ですらない。
「どちらにせよ、一度しっかり話し合うべきだよ」
何を話し合えと。
ジョセフの結論は出ている。
「君もそう思うだろう?」
君って誰のことだ。
ジョセフに向けた言葉と声にしては、やたらと他人行儀だ。
ちょっと待て。
どこを見ている。
「そうですね」
兄の視線を辿る前に聞こえた、低い声。
見つかってしまった。
探し回ったにしても、随分と早い。
これもお見通しだっていうのか。
「来いよ、ジョジョ」
手を引かれ、ジョナサンに背を押され。
ジョセフはシーザーの後に続くしかなかった。




座れと言われてリビングのソファーに腰を下ろしたジョセフは、床に膝を着くシーザーと向かい合っている。
「俺に構うなよ」
下から覗きこまれ、視線を逸らす。
同じように突っぱねても、今度は怯まない。
「それは無理な話だ」
「無理じゃねぇって」
「ほっとけないから仕方ないだろ」
だから、此処で困ったように笑うなって。
こっちが困るだろ。
「気に障ることをしたっていうなら、謝る。お前が口煩いのが嫌だっていうなら譲歩もする」
邪険にされて、どうしてまだ歩み寄ろうとか思うんだよ。
何があったかなんて、話したくもない。
話したところで、どうなる。
「謝んなくて良いから、俺のこと放っといてくれよ」
「迷惑か?」
「ああ。迷惑だ」
「そうか」
頷きながら、シーザーは気にした様子を見せない。
むしろ、ジョセフの言葉を本心だと思っていない。
眉根を下げて、しょうがない奴だなって笑う。
どこからその自信が来るんだよ。
朝は、構うなという一言にショックを受けてただろ。
「すまない、ジョジョ」
何が悪いか分かって無いくせに謝るなよ。
自分が悪いというけれど、これじゃあジョセフが悪いみたいじゃないか。
謝って済む問題じゃない。
放って置いてくれと言っているのに。
「だから、許してくれないか?」
シーザーは、狡い。
こうやって、謝ることで喧嘩という形にして終わらせようとしている。
構われたくないなんて言いながら、心の片隅で寂しいと思っているジョセフの心に気付いているのだろう。
「…お前のそういうとこ嫌い」
「そりゃ、悪かったな」
仲直りなんてしてやるもんか。
これは喧嘩じゃないんだから。
フイッとそっぽ向くジョセフの手をシーザーが握る。
「俺は、お前をガキ扱いしてるわけじゃあない」
「完全にガキ扱いだろ」
「違うさ。他でもない、お前だからだよ」
可笑しいだろ。
その辺の女に使うような台詞を吐くなよ。
相手を間違えるな。
違う誰かを重ねていると思った眸は、ジョセフだけを見ていて。
「馬鹿じゃねぇの」
大切なものを見るかのようにやんわり細められたから、悪態を吐くことしか出来なかった。
手を振り払えない自分は、目の前の男にかなり絆されてしまっているのかもしれない。