シンティランテ08


振り上げた拳は、見事にシーザーの顔面に直撃した。
油断していた奴は簡単によろめく。
口元を押さえて、まだふざけたことを言うなら容赦なく殴りかかるつもりだった。
しかし、シーザーは痛みで冷静になったらしく、バツが悪そうに謝罪した。
「悪ふざけが過ぎた」
伸ばされる手に思わず身構えると、シーザーが肩を竦めて完全に悪者扱いだなんて自嘲する。
あれが冗談で済むのかよ。
警戒されて当たり前だっての。
寂しそうな表情でこちらを伺うのも、どうせ演技だろ。
人の事振り回しやがって。
「いつまで怒ってるんだ?」
「怒ってねぇよ」
全てチャラになっていると思っているのか。
シーザーを許すと言った覚えはないのに、こちらが一方的に拗ねているかのような言い方をしやがる。
「帰りにケーキ買ってやるから機嫌直せって」
ガキ宥めるのと同じご機嫌取りに、ジョセフの苛立ちは増していく。
どうして、普通な顔で接してくるのだろう。
あの僅かな時間の出来事が、まるで嘘のようだった。
本気だなんて思っていない。
思っていないけれど、自分だけ変に意識してしまうのは不公平だ。
その後、何をしても不機嫌を通すジョセフを、シーザーは仕方ないと笑いながら構い続けた。





シーザーに深く関わるまい。
デートなんてふざけた日の終わりに決意したにもかかわらず、厄介事の方がジョセフのもとへやってきた。
翌日の下校途中、シーザーの女関係で頭の悪そうな男三人組に絡まれたのだ。
何で他人の痴情の縺れとやらに巻き込まれなきゃならないのか。
無関係だと言い張っても、街で見かけたとか、一緒に暮らしているとか、奴との繋がりを挙げてくる。
お前達はシーザーのストーカーか。
呆れて言えば、余計に相手を刺激してしまった。
そんなわけあるかと力いっぱい否定しなくても分かってるっての。
つーか、文句なら本人に言え。
至極真っ当な意見を述べたにも関わらず、男達は聞く耳を持たない。
ジョセフがシーザーの弱みであると考えているようだった。
女以上に惚れこんでるとか言って、目ん玉腐ってるんだろうか。
どうしてその結論に至るのか、全くもって理解出来ない。
シーザーと親しい女の子を奪った方がよっぽど現実的だ。
女の子に手荒な真似をするのは許せることではないが。
「あのヘラヘラしたキザ男の何が良いんだっての」
お前らよりは、顔も頭も性格も良いだろうよ。
シーザーを口汚く罵る連中に、ジョセフは苛立った。
因縁をつけられた時点で既にムカついていたのだ。
良く知りもしないで、言いたい放題言いやがって。
あれでも結構良いとこあるんだぞ。
てめーらのそれは、単なる逆恨みじゃねぇか。
「しかし、アイツも馬鹿だよなァ」
此処は話に夢中になっている男共を置いて、早々に立ち去るべきだ。
自分から災難を被りに行く必要などない。
なのに、気付けば男の一人を思い切り殴り飛ばしていた。
しまった。
仲間の怒声に我に還ったジョセフが、うっかり手が滑ったと言っても無駄だった。
既に他人だ関係無いと口八丁で言い負かすことも出来ない状況に、腹を括る。
頭に血が上りやすいこともあって、些細な諍いから喧嘩に発展することは度々あった。
また、腕っぷしにも多少の自信があった。
「あー!もー!クソッたれがッ!」
殴った時、スカッとしたから、暴れるのも悪くない。
正当防衛だ。
後のことは何とでもなる。
効率的且つ迅速に相手をぶちのめす方法にだけ頭を廻らせた。



僅かに腫れた頬と口端に滲む血。
油断して一発だけ喰らってしまったものの、ジョセフは三人組を見事撃退した。
捨て台詞がお決まりの覚えてろっていうのは、正直如何なのもか。
また絡まれるのは面倒だ。
溜息を吐くジョセフには、別の心配事があった。
この顔で帰ったら怒られるだろうな。
そう考えて真っ先に浮かんだのは、兄ではなくシーザーの呆れ顔だった。
喧嘩なんて珍しいことでもない。
ジョナサンには転んだと言い訳して、シーザーにはどう説明しよう。
いや待て。
何でアイツに気を遣わなければならないんだ。
そもそも、シーザーが原因で喧嘩を吹っかけられたというのに。
文句のひとつでも言ってやらないと気が済まない。
お前のせいで巻き込まれたと言って、それで。
「…言えるかよ」
何故だと尋ねられた時に、素直に答えるのは憚られた。
シーザーへの恨みの矛先がジョセフに向けられた理由。
男達の主張を鼻で笑いながら告げるには、二人の関係は微妙な位置にあった。
過るのは、昨日のデートでのキス。
シーザーは意識していないかもしれない。
ジョセフの考えすぎだとは思う。
あの馬鹿共の言葉を真に受ける方がよっぽど愚かだ。
気にする必要などないと思うのに、自然と家とは逆方向に向かって歩いていた。





無邪気な子供の声が遠くなる。
また明日なんて挨拶を聞きながら、ジョセフは公園のブランコに座っていた。
片手には、空になった炭酸飲料の缶。
体格の良い高校生がぼんやりとブランコを陣取る姿は、異様に映っていた。
チラチラと公園を訪れた人間に見られても、ジョセフが視線に気づくことはなかった。
兄は心配しているだろうか。
それとも、どこか遊び歩いていると踏んで気に留めていないのかもしれない。
日も暮れて遊んでいた子供達が居なくなった公園を見渡して、ぼんやり考える。
そろそろ帰らなければ。

遅くなるなら連絡しろ。
夕飯を用意して待っているだろうシーザーの苦々しい表情が浮かび、この場から離れるのが億劫になる。
流石に野宿はキツイよな。
非現実的な考えを否定し、泊めてくれそうな友人のリストを上げる。
さて、誰の家に押しかけようか。
「きさま此処で何をしていえる」
ブランコから立ち上がりかけたジョセフの足を、聞き覚えのある声が止めた。
この偉そうな物言いと厭味ったらしい声。
最悪な相手と出くわしてしまった。
緩慢な動作で声の方向に視線を向けると、仁王立ちしたディオがこちらを見下ろしていた。
「俺を無視するんじゃあない。答えろ」
「兄ちゃんのストーカー止めて、俺のストーカーにでもなったのかよ」
只でさえ苛立っているのに、鬱陶しい。
構うな。
「このディオがきさまを? 笑わせる」
本当に笑ってんじゃねぇぞ、クソ。
人を小馬鹿にしやがって。
お前に馬鹿にされるのが一番ムカつくんだよ。
厭味も全然通じてねぇし。
「あの男にでもフラれたか?」
「はぁ!? つーか、座ってんじゃねぇよッ!」
可笑しなことを口走ったかと思えば、ジョセフの隣のブランコに当たり前のように腰かけるディオ。
人の事とやかく言える体格じゃないが、お前とブランコの組み合わせマジで似合ってないから。
反論するジョセフに構わず、ディオは続ける。
「随分と懐いてるようじゃないか」
誰にとは問い返さなかった。
ジョナサンからシーザーの話を聞かされているのだろう。
「あっちが勝手に世話焼いてくるだけだっての」
「哀れなことだ」
「そうだろ」
珍しく意見が合うじゃないか。
こっちは迷惑しているんだ。
お前も、兄が迷惑していることにそろそろ気付け。
やはり自分の立場だと分からないのだろうか。
なんて頷いていると、盛大な溜息を吐かれた。
やれやれと首を傾げて失礼な奴め。
「きさまじゃない、あの男のことだ」
「はぁ?」
「店に来ていた時もやたらと貴様を眼で追っていたのに、当の本人がこれではな」
先刻と同じだ。
否、シーザーの居候が決まった日と同じというべきか。
ディオは、まるでシーザーがジョセフに想いを寄せているかの如く語る。
「兄弟揃って鈍いようだ」
しかも確信を持って。
周りの奴なんて興味ないくせに、変なところで目敏いのだ。
馬鹿男達と違い、妙に説得力があるから性質が悪い。
あるはずない。
否定する一方で、もやもやとした気持ちが胸を占める。
ギュッと缶を握りしめるジョセフに、ディオが言い放つ。
「分かったら、さっさと帰れ」
「ヤダね」
面倒だと顔を顰めるなら、最初から声を掛けるな。
「てめーこそ、早く兄ちゃんのとこ行けば良いだろ」
「随分と聞き訳がいいじゃあないか」
「煩ぇよ。今日だけ特別だ」
だから、さっさと居なくなれ。
「帰るなら付き合ってやる」
「何でだよ」
邪魔だといつもなら吐き捨てるくせに。
「きさまに何かあるとジョジョが煩いからな」
結局、ジョナサンか。
あからさまに好意を示しているくせに、本人の前ではそれを見せない。
実に歪んだ男だ。
「いい加減諦めろよ」
ストーカーと罵っても、ディオは笑うだけだった。
「ジョジョがきさまを甘やかすから」
完全に子供扱いだ。
日頃、ガキっぽい態度をジョナサンにとって困らせているにも関わらず、自分のことを棚に上げやがって。
「さっさと兄離れするんだな、ブラコン」
「ディオちゃんは、俺らの仲が羨ましいってかァ?」
お前の入る隙などないと言っても、反応は薄い。
本当に、コイツはジョナサン以外はどうでも良いんだなと改めて感心する。
「兄の迎えがないと帰れないとは、いくつになってもガキだな」
「誰がッ!」
ディオに唆されてこの場を動くのも嫌だが、コイツと一緒にいるのも嫌だ。
追い出す方法をジョセフが考えていると。
「どうやら、お迎えのようだぞ」
思いの外早かった。
してやったりと笑うディオは、ジョセフを見つけた時点でジョナサンに連絡していたのだろう。
公園の入り口より少し後ろから、こちらに向かって走ってくるシーザーを見つけた。
「…兄ちゃんが良かった」
ジョセフを迎えにくるのは、昔からジョナサンの役目であった。
不満だと抗議するジョセフをディオが睨む。
「甘ったれるな」
「兄ちゃんが俺に甘いんだよ」
どうだ、羨ましいか。
「そんなこと知っている」
至極どうでも良さそうに吐き捨てられた。
ディオにとっては、今更なことなのだろう。
コイツの態度もいつものことだから、特に気にとめない。
むしろ、こうして短い時間とはいえジョセフに付き合ったことの方が奇妙であった。
「おめーも他人の心配が出来るんだな」
驚いた。
明日は槍が降るかもしれないとからかうジョセフに、ディオは真面目な顔で告げる。
「まさか。お前があの男と居る間は邪魔されなくて済むからな」
やっぱりてめーの都合かよ。
呆れるより、なるほどと納得していると、目の前に影が差した。
ブランコに座ったまま見上げた先、シーザーは不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「どーも。コイツが世話になったみたいで」
ジョセフの手を取って立たせ、ディオに向き直るシーザー。
世話になったと言う割には、言葉が刺々しく聞こえる。
「保護者気取りか」
「別にそういうわけじゃあない」
対峙する二人の空気が若干悪いように見えるのは、気のせいだろうか。
シーザーが一方的にピリピリしているように思えた。
「フンッ。まあ良い。さっさと回収していけ」
ディオは、嫌なものを見る様に手をひらひらと振って二人から視線を逸らした。
一々癇に障る奴だ。
「行くぞ」
去る前に文句を言ってやろうと思ったジョセフの手を取って遮るシーザーが、強い力で引き摺って行く。
ディオの野郎、リードに繋がれた犬を見るような眼で見やがって。畜生。


シーザーの手を振り払ったが、その度に再び掴んでくるから途中で諦めた。
隣に並んで歩くのが気まずくて、片手を握られたまま半歩後ろを歩く。
一言も喋らない背中は、どこか怒っているように感じられた。
夕飯、冷めたんだろうな。
連絡しなかったから、いつ帰ってくるか心配しながら待っていたかもしれない。
他人事のように考えているジョセフの視界に、シーザーの手が映る。
怪我してやがる。
繋ぐシーザーの手の甲には小さな傷があった。
どこかにぶつけたというより、そう。
誰かを殴ったかのような。
「悪かったな」
唐突なシーザーの謝罪ですぐに理由を察した。
チラリとジョセフの顔の傷を気遣うように見たのが、その証拠だ。
大方、あの馬鹿三人組がジョセフに負けた後、シーザーのもとに行ったのだろう。
勝てると思って挑んだあたり、学習能力のない奴らだ。
そこでジョセフの件も聞いたのかもしれない。
ジョナサンの連絡を受けて急い駆けてきたのも、心配していたからに違いなかった。
兄に頼まれたから来たんじゃあない。
自分の意志でジョセフのもとに来た。
だから勘違いされるんだろ。
「大体何で俺が…」
申し訳ない気持ちより、胸に渦巻く複雑な想いが勝り、今日の不満をぐちぐちと相手にぶつける。
ジョセフが弱みになるなんて、有りえないと言ってくれよ。
否定してくれ。
「さあな」
ジョセフの期待に反して、シーザーは曖昧な返事をするだけ。
分からないと言う投げやりなニュアンスではなく、含みのある言い方だったのが引っ掛かった。
「まあ、見当違いでもないからな」
ボソリと呟かれたそれは、きっと聞かせるつもりなど無かったのだろう。
後から聞こえないフリをしたら良かったと悔やんだところで、もう遅い。
「それってどういう意味だよ?」
聞き返すジョセフに、シーザーは苦笑い混じりに答えた。
「…言ったら困るくせに」
振り向いた彼の子供のように拗ねた顔に驚く。
声はどこか寂しげで、言葉に含まれた意味も、自分が絡まれた理由も、やはりそうなのかと頭の片隅で納得してしまった。
思い当たる出来事が、一度に頭を過る。
ジョセフは何も言えなかった。
嘘だと笑い飛ばすことも、シーザーの本音を聞くことも、繋いだ手を振りほどくことも出来なくて。
狡いと分かりながら、無言を貫く。

黙り込むジョセフを一瞥したシーザーは、何事もなかったかのように前を向いて歩き出す。
甘い男だ。
その優しさが、余計にジョセフの心を迷わせた。
今、どんな顔をしているのだろう。
前に出て確かめる勇気をジョセフは持たない。
このぬるま湯のような関係を壊したくなくて、物言いたげな後ろ姿から視線を逸らした。