シンティランテ09


シーザーは何も言わない。
態度もこれまでと変わらず、ジョセフに自然に触れてきた。
然り気無い動作。
近すぎる距離は、以前と同じなのに違う。
シーザーが日常通りである程、ジョセフは彼を意識せざるをえなかった。
ジョセフの視線や態度に気づいているのだろう。
眼が合う度、意味深な笑みを浮かべた。
どこまでも待つという意志の表れか、からかっているだけなのか。
冗談として笑い飛ばそうとする度、拗ねた表情のシーザーの顔が頭を過った。
止めだ、止め。
前回のように藪蛇となるのは御免だ。
相手が普段と変わらぬ振る舞いをするなら、ジョセフもそれに倣えば良い。
シーザーなんて気にするものか。
大体、アイツがいるから余計なことに悩まなければならないわけで。
いっそ目の前から居なくなったら、清々するのに。
口煩く世話を焼かれることもなくなる。
尤も、この同居がすぐに終わらない限り、そんなこと有りえないのだけれど。

ジョナサンにシーザーが追い出される。
無いな。
あの兄が困っている人間を途中で放りだす様は想像し難い。
シーザーが此処を出て行く。
特定の彼女でも作れば有り得るが、ジョセフに構っている現状では前回と同じ轍を踏むだろう。
どちらも可能性が限りなく無いに等しい話だ。
考えるだけ無意味。
今晩の夕飯のメニューでも考えていた方が、ずっと有意義である。
チーズの焦げ匂いがしたから、きっとグラタンかラザニアあたりだ。
「ジョジョー!夕飯出来たぞ」
タイミングを図ったように呼ばれて、ギクリと肩を揺らした。
見えてるんじゃあ無かろうな。
警戒したジョセフは、数分だけ待って部屋の入り口に向かった。
扉からひっそり顔を出して、辺りをキョロキョロと見回す。
覗かれていたらどうしようかと心配になったが、杞憂だったようである。
それどころか、シーザーが居ない。
もうすぐ夕飯だから出てこいと呼んでおいて、どういう了見だ。
声が聞こえてジョセフが部屋を出るまでダイニングテーブルには、二人分のサラダとラザニア、スープが並べられており、すぐに食べられる状態だった。
「シーザー?」
呼んでも返事は無し。
トイレやバスルームにも居ないようで、この短時間に向かうとしたら一階にある店くらいだ。
もしかしたら、ジョナサンに声を掛けられたのかもしれない。
またディオとの約束でも出来たのか。
直接、ジョセフに言えば良いのに。
シーザーを遣うとは、中々考える。
不貞腐れるジョセフのご機嫌とりをするよう頼んでいたら、駄々を捏ねて約束を邪魔してやる。
折角だから後ろから驚かしてやろう。
足音を忍ばせつつ、店へと下りた。





店の影に身を潜めたジョセフが目にしたのは、親しげに話す二人の姿。
穏やかに談笑するシーザーの表情は、普段あまり目にしないものだ。
女の子やジョセフに向けるものとは異なる。
何と説明して良いのか、上手く言葉に出来ない。
「…チッ」
胸にモヤモヤとした気持ちが広がる。
面白くない。
ジョナサンが誰にも平等に優しく接するのはいつものことだ。
居候のシーザーが、家主である兄に友好的な態度を取るのも同じく。
頭では分かっていても、ジョセフは納得いかない。
自分が居ないのに、楽しそうに笑って。
こっちは腹減ってんだよ、クソッ。
人を仲間外れにしやがって。
「シーザー! 夕飯まだかよ!」
隠れる必要なんて無い。
声を張り上げて飛び出したジョセフに、二人揃って目を丸くしていた。
次いで呆れた眼差しを向けられ、更にジョセフの機嫌は下降した。
「少しくらい待てないのか、きさまは!」
「飯だって呼び出しといて、それは無いでしょ!」
「まあまあ。夕飯の前に呼んだのは、僕だから」
ジョナサンの仲裁で渋々ながら、口を噤む。
不貞腐れているのは、空腹のせいだ。
苦笑いのジョナサンに謝られ、シーザーには食い意地が張っていると笑われ。
完全に臍を曲げて動かないと宣言したジョセフの背を、シーザーが押して二階へと戻った。
「美味いか?」
「…別に」
部屋に戻ってすぐ夕食となったが、ジョセフの気分は未だ晴れない。
気の無い返事。
あからさまな態度を取っているにも関わらず、向かいに座るシーザーはニコニコと笑っていた。
美味そうな顔をしているわけでも、褒めているわけでもない。
嬉しいと感じる要素が何処かにあったか。
むーっと眉間に皺を寄せるジョセフの額を、シーザーの指が突く。
気安く触るんじゃねぇよ、オイ。
「嫉妬してたんだろ」
「はぁ?」
「俺がジョースターさんと喋ってるのが面白くなかった。違うか?」
違わない。
割って入るくらいには、耐えられなかった。
しかし、それを素直に告げられるはずもない。
「本当にブラコンだな…お前」
「別におめーが兄ちゃんと楽しそうにしてたからって…ってアレ?」
しまった。
先読みしたつもりが、完全なる誤爆だ。
逆だ逆。
この場合『別に兄ちゃんがおめーと楽しそうにしてたから』と言うのが正しい。
これでは、シーザーの方を気にしているみたいじゃあないか。
「待った!」
慌てて取り繕おうとしても既に遅い。
目の前の男は、先刻よりもとても綺麗な笑みを浮かべていた。
「ふぅん」
「何、納得しちゃってんの!?」
「分かったから、皆まで言うなジョジョ」
「だから、違うって言ってんだろ!」
否定すればする程、肯定しているように聞こえた。
自分でも墓穴を掘っている自覚はあったが、黙ったところでこの空気は変わらない。
居た堪れない想いをするくらいなら、無理やりでも誤魔化した方がマシだ。
赤くなる顔を逸らすジョセフは、人を振り回しやがってと内心毒気吐いた。
シーザーのせいで自分は可笑しくなってしまったのだ。
やはり、コイツさえ居なかったら。
有りえないと否定する一方で、少しでも考えてしまったのがいけなかったのか。
本心と裏腹の願いは、思わぬ形で叶ってしまった。





それは、翌日のことだった。
学校から帰宅したジョセフは、ジョナサンに呼び止められて部屋を片付けるよう言われた。
最近はシーザーが口煩いこともあり、小まめに片付けるようにしている。
むしろ、この前覗いたジョナサンの部屋の方が散らかっていたくらいだ。
自分を棚にあげて注意する人でも無いのに珍しい。
「そんなに汚かった?」
嫌味ではなく、純粋な疑問から尋ねるとジョナサンは、ハッとした表情を見せた。
肝心の用件を言い忘れていたという顔だ。
嫌な予感がする。
前にも似たようなやりとりがあった。
そうだ。
あれは、シーザーが居候することを告げられた前日のことだった。
「承太郎が来るんだよ」
ジョセフが思い至るのとほぼ同時に、ジョナサンが聞き覚えのある名を口にした。
「承太郎?」
「うん。従兄弟の承太郎だよ」
暫く会っていないから、忘れてしまったかもしれない。
心配そうに聞かれて、首を横に振る。
いくら何でも親戚を忘れるとか無いから。
此処で急に名前が出てくるのが、不自然だと感じただけである。
「確かアイツは寮に入ってるって…」
ジョセフのひとつ下の従弟は、親元を離れて学校の寮で生活していると聞いていた。
その彼が、何故。
ジョナサンの口振りからして、単純に遊びに来るという訳では無さそうだ。
「寮でトラブルがあったみたいでね。学校から近いうちで預かることになったんだ」
シーザーの時と同じではないか。
さらりと告げられる決定事項。
「マジで!?」
ジョセフの半信半疑の問いに、ジョナサンが何度も頷く。
家長である兄がの意見がこの家の全てを決める。
ジョセフが口を出す権利は無い。
「…シーザーは?」
けれど、言葉は考えるより先に音になっていた。
我ながら弱気な声だと思う。
「彼にはもう話をしてあるよ。今も片付けてくれてるんじゃないかな」
急な話でバタバタさせて彼には申し訳ないことをした。
眉尻を下げてすまなさそうに謝るジョナサンに、それ以上食い下がることは出来なかった。
従弟の承太郎をジョセフが弟のように可愛がっていたことも知っている。
ジョセフだって、久々に彼と会えるのは嬉しい。
嬉しいのに、シーザーが居なくなるというだけで、一瞬にしてその喜びが消えてしまうのだ。
「ジョセフは嫌かな?」
「そ、そんなこと無いぜ!」
兄に知られたくなかった。
従弟の同居を喜べない自分も、シーザーの居ない事実に戸惑う自分も。
いつも通りの笑顔を貼り付けるジョセフをジョナサンは疑わない。
店の客の対応をする彼に、片付けを明日までに済ませると答えて、ふらふらと二階の自宅へと向かう。





二人が昨夜話していたのは、この件だったのだろう。
アイツは一言も口にしなかった。
いつも通り夕飯を共にして、おやすみと挨拶をして、おはようと朝を迎えて、ジョセフを送り出して。
今日だって、夕飯を一緒に食べて、碌に乾かさない髪を咎められて少々乱暴に拭かれて。
そして。
次に何が続くのだろう。
シーザーはいつまで此処に居るのだろう。
急だと言っていたから、もしかしたら明日とか。
いやいや、流石に次の住居が決まっていないのに追い出すことは無い筈だ。
落ち着け。
冷静になれと言い聞かせても、ぐるぐると頭を回るのはどうしようという単語だ。
シーザーが出て行く。
その事実は、想像以上にジョセフの心を揺さぶった。
何も変わるはずがないと軽く考えていたのがいけなかったのか。
ジョセフとシーザーの関係は、こんなにも脆かったのに。
同居人。もしくは、居候。
共に暮らす家から離れれば、切れてしまう縁に過ぎない。
シーザーがジョセフに構うのだって、毎日顔を合わせているからだ。
思わせぶりな言動も、きっと冗談で。
面倒見の良い性格だから、放っておけないだけで。
ただ、それだけで。

ふと、シーザーの居ない生活を想像してみる。
起こされることなく、遅刻が増える朝。
送り出す人が居ない玄関。
腹が膨れれば良いと、自分で作った食事をひとりで食べる夜。
向かいに座り、他愛無い話をする存在は居ない。

シーザーが此処で暮らす前と変わらない生活だ。
ひとりの夕飯だって慣れている。
慣れているはずなのに、寂しいと感じてしまうのだ。
短い間に、シーザーが隣に居る生活が当たり前になっている自分に驚いた。
彼が居ない部屋を考えるだけで、ぽっかりと心に穴が開いてしまうような感覚に襲われる。
昨日まで、居なくなってしまえと考えもしたのに勝手な話だ。


気付けば、ジョセフはシーザーの部屋の前に立っていた。
扉を開くと、気配に気づいた部屋の主に声を掛けられる。
「帰ってたのか」
「……」
黙り込むジョセフを見て、シーザーは怪訝そうな顔をしている。
知らないと思っているのか、知っていても引き止めないと思っているのか。
こちらを気遣う双眸が、ジョセフを苛立たせた。
理由も分かっていないくせに、心配そうな面するなよ。
チラリと横目で部屋の中を確認した際、目に留まったのは片隅に纏められたシーザーの私物。
ジョナサンの言葉を肯定するには十分だった。
「ジョジョ?」
名前を呼ばれて、反射的に手を伸ばしていた。
不意打ちを受けて傾くシーザーの身体。
二人分の体重に重力も加わり、部屋に鈍い音が響いた。
勢いをつけ一緒に倒れたジョセフを、シーザーはやはり庇った。
受け身を取って転んだ彼に、痛いと言って睨まれたジョセフは唇を噛む。

あの時と同じだ。
文句を言うくらいなら、自分だけ避ければ良いのに。
ジョセフのことなど放り出してしまったら良かったのに。
怒ったすぐ後に、当然の如くジョセフの心配をしてくる。
怪我はないかと伸ばされて頬に触れる手。
「どうした? どこか痛むのか?」
これだから、嫌なんだ。
どうしようもなくなる。
シーザーの手をとりたくなる。
嫌だ。
離れたくない。
感情が制御出来なかった。
後から後から溢れてくる想いが、ジョセフの心を占める。
夢中でシーザーに抱きついて、胸に顔を埋めた。
行かないでくれ。
本音を口にしたら、彼は此処にいてくれるだろうか。
ジョセフに甘いシーザーのことだ。
ジョナサンに頼み込んでくれるかもしれない。
否、駄目だと幼い子供を諭すように言い聞かせるかもしれない。
背中に周り、宥めるように撫でる手の温もりを嬉しく感じながらも、焦りが心に広がる。
言わなくては。
絶対に離すものかと、シーザーのシャツを握りしめて顔を上げた。
その先。
「シー…」
ペリドットを思わせる眸に吸い込まれ、言葉は途切れた。
ジョセフの姿だけが、硝子球に映る。
くしゃりと歪む自分の顔は、情けなくて。
伝えなければと思うのに、上手く口が動かない。
悔しさともどかしさを噛みしめるジョセフの唇を、シーザーがそっと撫でる。
そのまま頬へと移り、添えられる手は、形に出来ない心を分かっていると告げる様に優しい。
「…ジョジョ」
低い掠れた声は、甘く胸に響く。
この男の傍に居たいと、ただ願った。

ゆっくりと近づけられるシーザーの顔を前に、ジョセフはそっと目蓋を閉じた。