真紅のルージュに口づけを
窓際のレースカーテン越しに差し込む朝日が眩しい。
あと数分と浮上しかけた意識を再び手放そうとして、洗濯物を溜めていたことを思い出す。
駄目だ。
起きて出掛ける前に洗濯を干さなければ。
重い瞼を開いたシーザーは、見慣れたはずの部屋に違和感を覚えた。
まだ夢でも見ているのか。
上半身を起こして辺りに視線を巡らせて、気づく。
誰か隣に居る。
どうやら、酔った勢いか何かで連れ込んでしまったらしい。
床には、シーザーだけでなく他の誰かのものと思われる衣類が散乱していた。
女性用のワンピースにしては、サイズが大きく見えるのは、気のせいだと思いたい。
まずい。
物凄く厭な予感がする。
シーザーが恐る恐る、隣に視線を向けると。
「ママミーヤ…」
自分より体格のいい男が、素っ裸のまま身体を丸くして眠っていた。
嘘だろ。
夢だと言ってくれ。
男の手首には縛ったような皮膚がすれて出来る赤い痕があり、瞼も泣いた後のように腫れているのを見つけてしまい、シーザーは頭を抱えた。
ナニをしてしまったとか考えたくない。
状況から推測して襲われたというより、襲ってしまったとか。
そんなこと、あって堪るか。
もう一度、確認する為に、チラリと視線を向ける。
よりによってコイツかよ。
悪酔いにも程がある。
昨夜の飲み会の席で見た覚えのある男の顔に、シーザーは軽い眩暈を覚える。
最悪だ。
情事の記憶が無かったのは、幸か不幸か。
目覚めたのが自分の部屋以外であれば、すぐさま逃走していた。
しかし、此処はシーザーが一人で暮らす部屋だ。
他人を置き去りにして出て行くことは出来ない。
だからと言って二メートル近いこの男を、真っ裸で部屋の前に転がすわけにもいかない。
仮に服を着せたとしても、コイツが来ていたのはワンピースだ。
非常に不本意な噂が近所で囁かれるのは確実。
遠くに運ぶのは面倒だし、その姿を目撃されても部屋の前に追い出した場合と同じ末路を辿るだろう。
どうしたものか。
このまま固まっていても始まらない。
「…起こすしかねぇな」
騒がれたら、一発くらい鳩尾に食らわせて黙らせれば良いことだ。
大学の講義が頭を過ったけれど、緊急事態だから仕方ない。
息を吐いたシーザーは、未だ目覚めない男を思い切り蹴り飛ばした。
ゴンッ。
「痛ぇええッ!」
転がる身体は、それはもう良い音をたてて床に落ちる。
苛立った気持ちが少しだけスカッとした。
だからと言って、事態が解決するわけではない。
「てめー何しやがるッ!」
「よお…起きたか、オカマ野郎」
辺りをキョロキョロと見回す大男に、シーザーは声を掛けた。
ギクリと肩を震わせた男は、物凄く気まずそうな表情を浮かべる。
若干、怯えた目で見られたのは気のせいだと思いたい。
悪いのは、自分じゃない。
「あの…さ」
「とりあえず、服を着ろ」
見るに堪えない。
「お、おう」
緩慢な動作で着替える男から視線を逸らし、煙草に火を点ける。
途中、こっそりと様子を伺ったのは、可笑しな真似をしないか見張るためだ。
男の着替えなど見たくもない。
「…ジロジロ見るなよ」
「改めて見ても酷いな、お前」
着替えたという男に視線を向け、その破壊力に眉を顰めた。
成人男性の標準以上の体型に入るワンピースを、よく見つけたものである。
不意に昨日の飲み会の席の記憶が甦り、シーザーは額を押さえた。
そうだ。
いつの間にか隣に座っていた女装男は、やたらと付き纏って。
「テキーラ…とか言ったか?」
テキーラ酒を片手に、そう呼んでくれとかほざいていた。
頬だけでなく顔中に、下品としか言えない真っ赤な口紅の痕をつけやがって。
他の女の子のところに行こうとする度に、手を引いてシーザーに酒を無理やり飲ませた。
体格でシーザーに勝る男の本気の力は、簡単に振りほどけない。
周りに助けを求めても、余興としてとらえられて、囃し立てられるだけだった。
これだから酔っ払いは。
否、自分も酔ってやらかしたんだった。
「…お前、名前は」
目を覚ました男を追い出すことも出来たが、致してしまった以上そのまま帰すのも色々と危険だ。
尤も、男に掘られたなんて話を他人にべらべらと喋るとは到底思えないけれど。
シーザーに迫ったのは、ネタに決まっている。
万が一話すとしたら、腹いせや悪ノリとしてのことだろう。
冗談混じりのそれを他人が信じるとは思えないものの、人の噂とは厄介なものなのだ。
「シーザーちゃんったら、名前教えてあげたじゃなぁい」
警戒するシーザーを他所に、男は科を作って頬を撫でてきた。
「テキーラよ」
「真面目に答えろ」
パシッと手を払落し、低い声で問い質す。
テキーラと名乗った男は、面白くなさそうに唇を尖らせて。
もごもごと口の中で不満そうに呟いた後。
「…ジョセフ・ジョースター。ジョジョって呼んでくれ」
宜しくと言って片手を差し出した。
誰が宜しくするか、このスカタン。
「お前なァ…」
調子の良い男に、脱力する。
ただ、この様子なら昨夜のことも綺麗さっぱり水に流してくれるに違いない。
「まあ、自己紹介はこれくらいにして。俺を追い出さなかったのは、勿論理由があるからだよなァ?」
シーザーの期待は、含みのある台詞と意味深な笑みによって裏切られた。
中々喰えない奴のようだ。
完全に油断していた。
「昨日のこと黙ってて欲しいんだろ?」
綺麗な孤を描く口元。
「喋られて困るのは、てめーも同じじゃねぇか」
こんなの脅しにすらならない。
むしろ、相手の方が分が悪いはずだ。
シーザーが鼻で笑うと、ジョセフは口元の笑みを深くする。
「別に俺は困らないぜ?」
「強がっても無駄だ」
その手には乗らない。
さっさと諦めろ。
「俺は、お前とのことがバレても困らないというより好都合だな」
「どういう意味だよ?」
理解できない。
楽しそうに語るジョセフに、シーザーは戸惑った。
得することなど何もない。
なのに、どうして。
「俺が、何の為に女装したと思ってんのよ」
胸の詰め物を寄せて持ち上げるジョセフは、不満そうだ。
「飲み会の余興じゃないのか」
もしくは、趣味とか。
他に考えつくものはなく、首を傾げる。
「やっぱり、覚えてないのねン」
対するジョセフは、僅かに目を伏せて。
「好きだって言ったのに、忘れるなんて酷いお・と・こ」
シーザーの唇を人差し指で撫でた。
「はあ?」
「そんな厭そうな顔しなくても良いじゃない。昨日は散々ひとのこと」
「ストップ! ちょっと黙れ」
とんでもない単語が口から出そうな気がして、慌てて片手で押さえつける。
いやいや、有りえないだろ。
今も昨夜の腹いせにシーザーをからかっているに違いない。
「信じて無いって顔だな」
息が苦しいと言って手を押し退けたジョセフが、疑わしげなシーザーを睨む。
「信じろって方が無理な話だ」
おちょくられていると考えるのが普通である。
大体、その恰好からして既にジョークだろ。
指摘すると、ジョセフは気まずげに視線を逸らして。
「これは、おめーが女好きだから少しでも」
少しでも良い方向に働くってか。
逆効果だ。
化粧が落ちているからマシだが、昨日はもっと悲惨だったぞ。
恥ずかし気に語る姿に、本気を感じてシーザーは大きな溜息を吐いた。
まさか、こんな展開になるとは。
「それで、お前は今回のことをべらべらと公言するつもりか?」
頷けば、手荒な手段に訴えることになる。
シーザーが拳を握りしめるのと、ジョセフが提案するのは同時だった。
「一週間だけ付き合って欲しい」
神妙な面持ちで告げられた、交換条件。
「脅しとは良い度胸じゃあないか」
「もともと玉砕覚悟だったんだ。今更、痛い腹なんてねぇよ」
「チッ」
こちらを見つめる双眸は真っ直ぐで、迷いはない。
たとえ、無理やり口を封じようとしても聞きはしないだろう。
「一週間だけだからな」
はっきり諦めると言ったのだ。
数日我慢すれば良い話である。
シーザーの承諾を喜ぶジョセフを見て現金だと呆れながら、始まる生活に不安を抱かずにはいられなかった。
こうして始まった恋人ごっこ。
ジョセフはシーザーの部屋に住み着いた。
帰らないのかと問えば、一週間後にと答えるだけ。
少しでも時間が惜しいという彼の言葉は、冗談やからかいの色が無い。
だからこそ、余計性質が悪かった。
「寄り道せずに帰ってきたなんて偉いじゃなぁい」
「一週間は付き合ってやると言っただろう」
家探しなど可笑しな動きをしていないかという監視の意味があったが、敢えて明かす必要はない。
「律儀ねぇ」
「煩ぇよ」
「シーザーのそういうとこ好きよ」
臆面もなく告げるジョセフから顔を逸らした。
幸せそうな顔するなよ。
恥ずかしい奴だ。
これで、この厚化粧とふざけたワンピース姿が無ければ。
考えかけて、落ち着けと我に還る。
どんな格好をしていたって一緒じゃないか。
「そんなに見つめられると照れるわン」
当のジョセフは、シーザーと視線が合うなり、ウィンクをしてみせた。
「止めろ。吐き気がする」
「シーザーちゃんったら、ひっど〜い」
酷いのは、お前の女装だ。
主に、化物かと罵りたくなる厚化粧。
鏡を見てこうなるってことは、感性の問題だろうか。
「お前の美的センスは最悪だな」
「それってシーザーちゃんも不細工ってことになるわよン」
「分かった。きさまの頭が可笑しいってことで解決だ」
ばっさり切り捨てると、ジョセフは頬を膨らませてそっぽを向いた。
この真っ赤な口紅を選ぶセンスも正直どうかと思う。
肉厚な唇を更に主張する必要はない。
むしろ、自然なままの方がキスをしたく。
「…なるわけねぇだろ!」
「おわっ、いきなり叫ぶなよ!」
うっかり危うい思考に転びかけた自分を叱咤する。
コイツが好きだとか何だとか言うからだ。
シーザーに記憶が無いが、肌を合わせた事実も相俟って意識してしまう。
「シーザーは、どんな子が好きなの〜?」
「守りたくなるような愛らしい女の子だ」
「それなら、テキーラちゃんはいかが?」
女という部分を主張して言うシーザーの腕に、ジョセフが抱きつく。
詰め物にしては柔らかいな。
なんて考えてる場合じゃない。
「俺よりでかい女装男が可愛いわけあるかッ!」
世の女性を侮辱するんじゃあない。
容赦なく振り払った勢いで、床に膝をつくジョセフ。
わざとらしくポーズを決めても、筋肉のついた立派な身体で台無しだとそろそろ気付け。
「何が気に入らないっていうのよ!」
「全部だ」
「どう直せってんだ、クソッ!」
口調戻ってるぞ、オイ。
直さなくて良いし、言ったところで直せないだろう。
無視しようとするシーザーの足を、ジョセフががっちりと掴む。
その縋るような眼を止めろ。
言葉に詰まり、思わず咳払いをする。
「その…あれだ。化粧をもう少し変えてみろ」
何もしない方が良いとは言えなかった。
シーザーが好きだから女装している。
ジョセフは確かにそう口にしていたのだ。
迂闊なことを口走って、脈ありだと思われても面倒である。
シーザーの葛藤を知らない相手は、任せろと笑って。
無邪気な笑顔に、ほんの少しだけ心が揺らいだ。
違う。
断じて違うぞ。
言い聞かせるシーザーは、なるべくジョセフを視界に入れようにしていた。
「シーザーちゃ〜ん!」
今朝はいつにも増してハイテンションだな。
朝くらい静かに迎えさせてくれ。
煩わし気にシーザーが視線を向けた先、いつもの化物が居た。
学習していない男の化粧は、昨日より悪化していた。
「問題は頭の方か」
眼鏡を帰りに買ってやるべきなのか本気で悩み始めるシーザーの頬に、熱烈なキスが降り注ぐ。
「離せ、馬鹿!」
逃がすまいと腕に力を込める男の隙を突いて距離を取る。
ゴシゴシと頬を拭うなり、不満そうな顔をされた。
「照れなくても良いじゃなぁい。折角、早起きして頑張ったのに〜」
ナヨナヨと左右に揺れるのを止めてくれ。
腰を屈めた状態で上目遣いをされても、絆されないんだからな。
見るに堪えないと視線を逸らすシーザーの背中に、視線が突き刺さる。
「あーもう! お前は鏡を見ろと何度言ったら分かるんだッ!」
がっくり項垂れるジョセフに、自然と手が伸びていた。
手近にあったタオルを掴み、顔をゴシゴシと拭ってやる。
「ふぁっ…何しやがるッ!」
「こうした方がマシだって教えてやってるんだよ!」
人の親切に感謝しろ。
顔料で染まったタオルの変わり具合に、どれだけ塗りたくっているんだと呆れる。
当のジョセフの顔は落ちていない部分は残るものの、まだ見れる顔になっていた。
「後はてめーで顔洗えよ」
化粧を否定されて不貞腐れるジョセフの頭をポンポンと宥めるように叩く。
子ども扱いするなと嫌がるかと思ったそれは、意外にも彼のお気に召したらしい。
仕方ないなんて口では言いながら、何処か嬉しそうに洗面所へと駆けて行った。
あれが無意識かよ。
うっかり、可愛いと思いかけた自分の頭を思い切り殴る。
あの化物染みた姿とのギャップがいけないんだ。
気を許すな。
言い訳を並べている時点で、既に手遅れだということにシーザー自身気付かない。
そして、四日、五日と過ごすうちに会話が増えた。
面と向かっても動じなくなるどころかこれが普通だと感じることもあり、慣れって恐ろしいと思った。
美人は三日で飽きるというが、人間の順応性も考えようである。
まともに話すことが出来るならと、シーザーはいくつかジョセフについて尋ねた。
万が一の為に、情報を得るに越したことは無い。
約束をジョセフが守らない可能性だってあるのだ。
相手の素性を探る為に投げかけた質問に、彼は気にした様子もなく答える。
自分に興味を持ってくれたと思ったらしく、語る姿は嬉しそうに見えた。
隠し事の出来ない奴。
興味本位で、シーザーのどこに惹かれたのか聞いてみたこともあった。
くだらない理由なら笑い飛ばしてやろうと思ったのに、ジョセフはシーザーの覚えのない出来事をポツリポツリと丁寧に話した。
気まぐれに親切心を出して助けたのだろう。
思い当たる節のないシーザーに構わず、大切な思い出だと笑うジョセフに、心が揺らぎそうになった。
人のことをスケコマシだの何だのと貶す一方で、好きだと告げるとは反則だ。
これ以上はまずいと思い、慌てて話を逸らす。
「お前、うちの大学なのかよ」
「学部は違うけど、シーザーちゃんより二つ下よン」
年齢の話は納得した。
コイツが年上だと言われた方が驚く。
「一週間は自主休講でシーザーちゃんの傍に居るから安心してね」
「…学校行けよ」
「心配してくれるなんて優しいのね」
「聞いた俺が馬鹿だった」
問題は、同じ大学という事実だ。
ジョセフが所属する学部を頭に記憶して、詳しそうな人間に聞こうとした翌日。
情報の方が先にシーザーの耳に飛び込んできた。
場所は、大学構内のカフェテラス。
丁度、女の子と約束して待っていたこともあり、周りの雑音がよく聞こえたのだ。
本当に偶然だった。
「ジョジョの奴。好きな子にフラれた腹いせに男追い回してるらしいぜ」
「マジかよ!?」
「何でも、告白した子が好きだったのが女タラシで有名な奴だったらしくてさ」
「一泡吹かせてやるってやる気だったぜ」
女装の準備をしていたとか、飲み会に乗り込んだとか。
化粧を含めて大男の女装姿は到底見れたものじゃなかったとか。
シーザーの知る『ジョジョ』と名乗った男に当てはまる内容が多すぎた。
別に驚くようなことじゃない。
男を好きだと言って、女装姿で迫ってくることの方が不自然なのだ。
本気じゃなくて良かったと安堵すべきところなのに、何故自分は苛立っているのだろう。
約束も午後からの講義も知ったことか。
シーザーは、感情のまま自宅へと向かっていた。
「出て行け」
笑顔でシーザーを迎えたジョセフへの一言は、冷たく響いた。
「シーザーちゃんったらご機嫌斜めねぇ」
ジョセフは、一瞬表情を硬くしたものの、すぐに立ち直ってへらへらと笑う。
人の気も知らないで呑気なものだ。
こっちは、お前の真意をもう知っている。
「あー、もしかして大学で何か聞いた?」
冗談に表情を緩めることなく見据えるシーザー。
その態度に察するものがあったらしいジョセフが、苦笑いを零す。
ふざけた喋り方じゃない、素の彼の声。
漸くここでネタ晴らしか。
逆恨みの反抗にしては、手が込んだことしやがって。
人のこと巻き込むんじゃねぇよ。
「あれね、全部ウソだから」
「あぁ?」
ジョセフの口から出たのは、シーザーが予想しなかった言葉だった。
嘘って何がだ。
お前の気持ちじゃないのか。
「その方が、噂になっても困らないだろ?」
誰がなど、聞くだけ野暮だ。
人の迷惑を顧みず、似合わない女装で迫る奴がシーザーに気遣っただと。
笑わせるんじゃねぇよ。
「フラれたからって、そんな面倒なこと普通しないっての」
他の可愛い子探した方が建設的だ。
至極真っ当な意見を出され、頷きそうになる。
「俺は、シーザーが好きだから此処に居るんだぜ」
好きだとか、平然と言うなよ。
信じる訳ないだろ。
「嘘吐くんじゃねぇ」
「俺は最初から嘘なんて吐いてないッ!」
「煩ぇよ」
分かっている。
頭のどこかで理解していても、自分の感情が追いつかなかった。
認めたくなかった。
今日は昨日よりマシだと告げるだけで、喜ぶ姿を悪くないと思っていたこととか。
一週間経ったら、居なくなるのを寂しく思う気持ちがあったとか。
「俺は最初から迷惑してたんだ」
ジョセフを正面から見ることが出来ず、苦々しく吐き捨てたまま彼の前から逃げた。
どうせ、明日で一週間だ。
泊めてくれそうなガールフレンドに連絡をしたシーザーは、誘われるままに部屋に転がり込んだ。
ここ数日、碌に女の子と触れていなかったこともあって丁度良かった。
血迷った自分の眼も覚める。
そんな考えを持つ時点で、駄目だったのだろう。
華奢な身体を抱き寄せて覚えたのは、違和感。
可笑しいのは、自分の頭だ。
これで、あの男と縁が切れるというのに、好きだと真っ直ぐに告げる顔が何度も浮かんでは消えた。
情が移ったのだ。
元来、世話焼きな性格だと自覚していた。
その延長だと思いたかった。
期待を持たせまいと、こうして逃げて女の手を取ったというのにこのザマである。
期待したくなかったのは、自分だ。
「シーザー?」
「…すまない」
謝罪は、無意識に口から零れた。
駄目だ。
抱き締めたいと感じるのは、柔らかな目の前の身体じゃない。
懲りもせず、はちきれそうなワンピースを翻す愚かな大男。
シーザーの好みに近づいていると勘違いして、空回って。
今頃、どうしているだろうか。
飛び出してから一時間以上経っている。
見限って、部屋から居なくなってしまったかもしれない。
「自分から声を掛けた癖に最低!」
謝るだけ謝ってぼんやりしていたシーザーの頬に、女の子の平手が見事に決まる。
いつもなら、此処で宥めて許してくれと懇願するところだが、そんな余裕は無かった。
勝手な話だ。
突き放しておいて、すぐに追いかけたくなるなんて。
都合が良すぎると我ながら自嘲するも、足は自然と目的の場所に向かって走り出していた。
部屋の鍵を開ける時間も惜しい。
ガチャガチャと音を立てて扉を開けた先、床に座り込むジョセフの姿があった。
「あらら、シーザーちゃん。随分と早かったのねン」
驚きに見開かれる眸。
戻ってくる可能性を全く考えてなかったという顔だ。
このまま、玄関で何時間も過ごすつもりだったのだろうか。
シーザーを待つ光景が浮かんで、気付けば彼に手を伸ばしていた。
無言で抱き寄せると、珍しく抵抗される。
「最後に情けをかけるつもりか?」
離れて見た眸は、哀しげに揺れていた。
「どうせ、可愛い女の子とお楽しみだったんだろ?」
纏う香りか、はたまた赤く腫れた頬か。
第三者の存在を感じるのは当然だ。
「…そうだ」
お前の顔が過らなかったら、今も楽しんでただろうよ。
正直に答えると、くしゃりと歪む顔。
泣かせたいわけじゃあないのに、自分の一言で傷つく存在に心が満たされる気がした。
嗚呼。
少し前に自覚した通り、気づかぬ間に自分は趣味が変わってしまったらしい。
似合わない女装で、好きだと伝える男を愛しいと感じるなんて。
「中途半端な優しさのが、しんどいって分かってんのかよ」
構うな。
始めての相手からの拒絶に胸がざわつく。
嫌いだと言いかける可愛くない口を、無理矢理塞いでやった。
「…同情なら間に合ってる」
「まだ言うか」
「信じられない」
今なら分かる。
きっと、コイツは最初から諦めるつもりだったんだ。
想いが実ることがないと割り切っていたから、一週間という期限を敢えて設けた。
その結果がこれだ。
先刻のシーザーの発言の後で信じろっていうのが無理な話である。
「じゃあ、こう言えば良いか?」
どんな言葉も耳を貸さないというのなら、彼の取った手段を真似るだけ。
「黙っていて欲しかったら、俺と付き合え」
ただし、期限は設けない。
逃げ道は残さないから観念しろと言っても、ジョセフは首を横に振った。
「断る!俺は、もうお前なんて」
シーザーの腕から逃れようとと振り上げられる手を掴み、顔を近づける。
またキスをされるかもしれないと身構える彼に、小さく笑って。
「好きだ……ジョジョ」
耳元で自分の想いと共に、彼の名を囁いた。
大袈裟に跳ねた身体は、ジョセフの動揺を示していた。
これでまだ信じないと言ったら強硬手段に出よう。
「…それ、本当に言ってるんだよな?」
ベッドに引き込むまでの流れを考えるシーザーを引き戻したのは、躊躇いがちな声。
視線を合わせたジョセフの眸には、喜びと迷いが混じっていた。
あの積極さは何処へ行ったのか。
案外、迫られると弱いのかもしれない。
「俺は野郎にキスする趣味はねぇよ」
「やっぱり、この格好だから」
触れるだけのキスを繰り返して言ったにも関わらず、これか。
「違ぇよ、スカタン」
いい加減、自分の女装の出来の悪さを認めろ。
「まだ納得出来ないなら、分からせてやる」
「分からせるって?」
「ほら、立て」
行くぞと手を引くジョセフは、何処に連れて行かれるか分かっていない。
大方、部屋でゆっくり話すと思っているのだろう。
甘いことだ。
押されてベッドに転がされた時、ジョセフは想像通りキョトンとしていた。
シーザーが覆いかぶさる頃になって漸く理解して、バタバタと手足を動かして抵抗する。
教えなくて良かったと、暴れるジョセフを相手にしながら思う。
いっそ縛り上げてしまおうか。
物騒な案が浮かんだ際に過ったのは、数日前の出来事。
確か、コイツと。
「なあ、あの時はどうだった?」
「あの時…?」
「俺はお前をどんな風に抱いたんだ?」
部屋に帰った記憶すらないシーザーは、情事のことを全く覚えていなかった。
面白くない。
相手が覚えていて、自分だけ忘れてるなんて。
自分相手に嫉妬するとか馬鹿だとは思うものの、苛立ちは消えない。
「ちょっと待て。こういうのは、段階を踏んでだな」
何であの時は良くて今は駄目なんだ。
酔った自分と違うとでも言うのか。
「俺のこと好きなんだろ」
責め立てるシーザーに、ジョセフがたじろぐ。
「好きだけどさ、ちょっと待たない? ね?」
「あれだけ迫ってたのに随分と弱気だなァ、テキーラ?」
いつもの威勢はどうしたんだ。
ガキの飯事じゃあるまいし、腹を括れ。
わざとらしく耳元で囁き、羞恥で赤くなった肌に甘噛みをしてみる。
「どうせ、最初から順番すっ飛ばしてるんだ」
出会いをやり直せるというなら別として、過程や順序を問うのは如何なものか。
「いや、あれは、その…」
さっさと降参してしまえ。
耳に唇を這わせて煽ると、思い切り体を押し返された。
やはり、腕を縛り上げてしまうべきか。
シーザーも鬼じゃあない。
とりあえず、言い分は聞いてやろうと、物凄く言いにくそうに間を置いたジョセフの次の言葉を待つ。
「…最後までしてないから、その…ノーカウントだ」
ゴニョゴニョと段々小さくなる声が告げたのは、予想外の真実。
「…マジかよ」
「騙すようなことして悪かったと思ってる」
まんまと嵌められたらしい。
ギリギリ未遂だったと語るところから、ある程度は手を出してしまったようだけれど。
「どうせ正攻法で言っても無駄だって分かってたし、チャンスだと思ったんだよ」
不貞腐れて顔を背ける仕草が妙に可愛く見えて、シーザーは無理やり自分の方へと顔を向けさせてキスを仕掛ける。
眼を白黒させて、苦しいと胸を叩いて主張するジョセフ。
舌入れただけで慌てるくせに、人を誘惑するつもりだったのか。
無謀にも程があるだろ。
肝心なところで逃げに走るのは、慣れてないからだろう。
呆れる反面、彼らしいと嬉しく思う部分の方が強くて。
「俺だけ覚えてないってのも癪だったからな。これで仕切り直しだ」
お前が気付かせたんだ。
逃げられるものなら、逃げてみろ。
口端を持ち上げるシーザーに、ジョセフの顔が赤から一気に青くなった。
「大丈夫、優しくしてやるよ」
「絶対ぇ、嘘だッ!」
もしかしたら、過去のシーザーの仕打ちを思い出したのかもしれない。
未遂とはいえ、自分は彼にどんな無体を働いたのか。
考えても思い出せない状況に腹が立つから、それ以上追及することは止めた。
全部、塗り替えてしまえば良い。
「ジョジョ」
名前を呼んで、触れるだけのキスを繰り返す。
頬や髪を優しく何度も撫でれば、ジョセフは観念したようでゆっくりと瞼を閉じた。
仕方ないと呟く口は、可愛く無くて、愛おしかった。
室内に響く厭らしい水音。
男二人を乗せたベッドは、重量オーバーとばかりに大きく軋む。
着せたままだったワンピースは、皺くちゃになって腰の部分に辛うじて引っ掛かっている状態。
二人分の精液で汚れた裾は、シーザーの劣情を誘う。
似合わないと散々馬鹿にした姿に興奮する日が来るとは思わなかった。
無理だ。
離せと上に這いつくばる身体を押さえつけ、後ろから腰を打ち付ける。
勢いよく奥を突かれ、ジョセフが悲鳴に似た声をあげた。
しなる背中のラインが綺麗だった。
衝動のまま項に歯を立てると、くぐもった嬌声が微かに耳へと届く。
既に声を抑えることもままならないくせに、強情な奴だ。
我慢されると、余計に啼かせたくなるなんて思いもしないのだろう。
激しく揺さぶってやれば、堪えきれなくなった声が零れる。
そのまま中に精液を吐き出すと、ジョセフが小さく喘いだ。
「…しー、ざぁ」
顔だけ振り返ったジョセフに呼ばれる。
化粧がすっかり落ちてしまった瞼に唇を寄せて、抱き締めると擽ったそうに身を捩った。
「イイ顔だな」
ほんのり紅の残る唇を親指でなぞる。
泪の滲む双眸は、恨めしそうにシーザーの所業を責め立てた。
自分も溺れたことを棚にあげて、被害者面するなよ。
「…女装した男に欲情するなんて、イイ趣味してるぜ」
前は縛ったとか、前戯がしつこいとか失礼なこと抜かしやがって。
息上がってるくせに、減らず口を叩きやがる。
「女装して男に抱かれて悦んでた奴が言える台詞かよ」
「だ、誰が!」
真っ赤になるあたり、図星じゃないか。
このまま意地の悪い態度で反応を楽しむことも出来るが、臍を曲げられても困るから。
「お前がそうさせたんだから、責任取れよ」
完敗だ。
負けを認めよう。
このふざけた女装含め、愛しいと思ってしまったなら、どうしようもない。
シーザーは汗で張り付く髪を優しく掻き上げて。
ルージュを纏う時よりも魅力的に誘う唇に、そっと口づけた。