シェルピンクを染め上げて
女装の趣味があったわけではない。
願望があったわけでもない。
ただ、色々と込み入った事情があっただけで、自分は流れに身を任せただけなのだ。
太股までスリットの入ったドレスを纏ったジョセフは、周りから不評の濃い化粧を施した顔で満面の笑みを作ってみせた。
視界に映るのは、恋人であったシーザーの姿。
二週間前まで付き合っていた男の突然の登場に、ジョセフは内心激しく動揺していた。
何で、てめーが此処にいるんだ。
問い詰める言葉を飲み込んだ代わりに、精一杯高い声でいらっしゃいと迎える。
シーザーは、ジョセフの手を取ってとても綺麗に微笑んだ。
「君に出逢えて嬉しいよ」
こっちは会いたくなかったよ、クソ野郎。
別れた日の苦々しい記憶が頭を過り、拳を握りしめた。
此処は仕事先で相手は客だ。
問題を起こしてはいけない。
シーザーが、ジョセフだと気付いていない可能性だってあるのだ。
大丈夫。
他の客に振る舞うのと同じようにすれば良い。
空いている席へシーザーを案内したジョセフは、すぐさま店主のもとへと逃げ込んだ。
「どうしたんだい、ジョジョ?」
「いや、その…ちょ〜っと厄介な奴が来ちゃったみたいで」
「あらら。それは、例の色男かい?」
「そんな感じなんで、ママも他のお客さんみたいにテキーラって呼んでねン」
ママと呼ばれた店主はやれやれと首を振っていいたものの、特に追及することなくフォローはすると笑ってくれた。
彼…否、彼女のこういうところが非常に好ましいと思う。
二週間前も、同じように困っていたジョセフに手を差し伸べてくれた。
シーザーに別れを告げたあの日。
共に暮らしていた部屋を飛び出して、行く宛無く彷徨っていたところを拾われたのだ。
言い淀むジョセフから簡単ないきさつを聞きだし、少しの間だけだと自宅の一室を貸し与えた。
家賃の代わりに店を手伝うように持ち掛けられ、考えた末に頷いたのだ。
女と言うには些か体格の良過ぎるママは、街の裏路地に面した場所で小さなスナックを営んでいた。
ただ、ママがそれらしい恰好と口調をしているからと言って、店に反映されているわけではない。
ならば、何故ジョセフまで女装をしているかと言えば、ママに勧められたからである。
落ち込んでいても仕方ない。
どうせなら、派手に明るくいけ。
客からの第一印象は必ずと言って良いほど不評の女装を、彼女だけは素敵だと笑ってくれた。
それが、此処で役立つとは。
素顔でなくて良かった。
最初は、自分を探して来たかと身構えたが、シーザーは共に来店した知人らしき男と親しげに話している。
ジョセフを尋ねてきたのなら、一人で訪れたはずだ。
奴はきっと、気付いていない。
もしかしたら、追いかけてきてくれたのかもしれないと少しでも喜んだ自分が馬鹿だった。
未練なんて置いてきたのに。
駄目だ、駄目。
暗い考えを巡らせている場合じゃない。
沈みそうになる心を叱咤して、ジョセフは口端を持ち上げる。
シーザー達の頼んだ酒を運びながら、如何に他人のフリをするか考えた。
まずは、名前。
彼の前では、いつだったか客が飲んでいた酒の愛称で着けた『テキーラ』を名乗るのがベストだ。
テキーラは陽気で良い男を好む女性である。
明るく、それでいて気があるような素振りを見せなければならない。
男二人の顔を見を比べた後にシーザーの隣に座って名を名乗り、片目を瞑って投げキスを飛ばしてみる。
瞬間、シーザーの連れの男が思い切り酒を噴出した。
誤って気管にでも入ったのだろうか。
ジョセフが持っていたハンカチを差し出した。
しかし、その手はシーザーに捉えられる。
「他の男を心配するなんて…寂しいな」
そのまま顔を近づけられて、無意識に身を退いた。
細められる眸が恐ろしく感じられるのは、気のせいだろうか。
うっとりと見つめられて、ジョセフはたじろぐ。
咽た男は、ジョセフとシーザーを交互に見て顔を青くしていた。
前の店でよっぽど酒を煽っていたのだろうか。
もし、吐くようなら先にトイレに連れていかなくては。
出来る限り気に掛けておこうと思ったのだが、シーザーによって阻まれる。
グイッと少し乱暴に彼の方へと向けられる顔。
「言った傍から余所見をしないでおくれ」
何も見えないように視界を覆ってしまおうか。
甘く耳元で囁かれ、ギクリと肩が揺れる。
近い。近いから。
お前、普段から飲み屋の女の子にこんなことしてるのかよ、オイ。
これだからスケコマシは。
苛立つジョセフは、すぐにハッとなって平常心を装う。
シーザーの交際関係など、自分には関係の無いことだ。
「いや〜ん。シーザーちゃんったら意外と情熱的ねッ!」
視線を不自然にならない程度に外し、奴のグラスに酒を注ぐ。
顔色を悪くしていた男の方をこっそり盗み見ると、彼はどこか遠くを見つめていた。
相当酔っているのかもしれない。
早く連れて帰ってやれよ。
ジョセフがそれとなく促す度、シーザーは歯の浮くような台詞を口にした。
「テキーラ以外のことは考えられないよ」
離れたくない。
ギュッと手を握られ、引き止められる。
仕事があると言いたいところだったが、運悪く今日は客入りが少ない。
ママは常連と楽しそうに話している上に、妙な気を遣ってシーザーだけ相手にすれば良いと目配せしてきた。
そういう店じゃねぇだろ。
勘弁してくれ。
この人、太腿撫でてくるんだけど。
抓っても引っ掻いても、懲りることなく触れてくる手。
腰に回された手に関しては、既に諦めている。
密着するのも、これくらいなら…って可笑しいだろ。
シーザーのペースに巻き込まれてはいけない。
「ちょぉおっと近すぎるんじゃなあい?」
「こんなにも君を遠く感じるのに?」
唇が触れそうな位置でほざいてんじゃねぇぞ、スカタン。
「ストップ! お触り厳禁! テキーラちゃんは、高いわよ〜」
女に触りたいなら、然るべき場所に行け。
引き攣った笑顔で顔を引き離した手に、チュッと音を立ててキスされる。
ふざけやがって。
やっぱり、女なら誰でも良いのかよ。
腹が立つより、哀しくなってきた。
ジョセフの脳裏に浮かぶのは、過去に何度かあったシーザーとの喧嘩だ。
最後の喧嘩も、奴の女関係が原因だった。
シーザーと付き合っていたとかいう女に絡まれて。
てめーの女くらい最後まで面倒見ておけと捨て台詞を吐いたら、ふざけるなと怒られた。
ふざけてるのは、おめーだっての。
結局、それからお互い罵り合って、殴り合って、退くに退けなくなった。
もう嫌だ。
喧嘩で疲れ切ったのも手伝い、ジョセフは別れの言葉と共に二人で暮らしていた部屋を飛び出した。
シーザーは、追ってこなかった。
スピードを緩めて振り返った先には誰も居なくて、全部終わったんだと思っていた。
それなのに、目の前の男の一挙一動に心動かされてしまう。
「愛の前に、金なんて無粋じゃあないか」
ジッと見つめられると動けなかった。
「どうか、君の唇に触れることを許しておくれ」
触れて欲しいと思ってしまった。
彼は、テキーラに向けて愛を囁いているのに。
ジョセフに気付かないのに。
「フフッ。私の唇は、大事な人の為にとってあるから駄目よ」
キスされる寸前に手を滑り込ませることが出来たのは、奇跡に近い。
危なかった。
距離を取ってシーザーを警戒すると、彼は残念そうな表情を作ってみせた。
わざとらしい奴。
騙されるわけねぇだろうが。
こうなったら、無駄口叩けなくなるまで酔わせてやる。
意気込むジョセフは、リスク覚悟で自らも酒を呷った。
相手に不審に思わせてはいけない。
シーザーに酒を倍以上飲ませつつ、自分はセーブする。
イカサマには自信があった。
故に、油断していたのだ。
まさか、シーザーもまた同じことを考えているとは思いもしなかった。
あまり飲んでいない。
酔ってもいない。
隣のシーザーだって、未だ素面に見えるから平気だ。
連れの男は、知らない間に帰っていたようだった。
まだ、酒が足りないと新しい瓶を取りに立とうとしたジョセフは、此処で漸く上手く足に力が入らないことに気付いた。
長い間座っていたせいだろうか。
テーブルに手を掛けてみるも、ガタンと音を立てて突っ伏してしまう。
ふわふわとした浮遊感があった。
かなり不味いかもしれない。
シーザーは、どうだろうか。
確かめるよう視線を上げた先、奴は悠然と構えていた。
髪を優しく撫でる手。
嬉しそうにテキーラと呼ぶ声で、逆に嵌められたことを知る。
早く離れなければ。
焦るジョセフが、足掻いたところでもう遅い。
「ママさんに、許可は取ったから安心したら良い」
目線を合わせて覗きこんできたシーザーは、勝ち誇った笑みを浮かべていて。
「おいで、テキーラ」
ジョセフを丁寧な動作で抱き上げると、店を後にした。
外でタクシーを拾ったシーザーが向かったのは、彼の部屋だった。
いっそ、ホテルに連れ込まれた方がマシだったかもしれない。
重いのに、ご苦労なことだ。
タクシーを降り、背中に負ぶったジョセフを少しよろけそうになりながら運ぶ男に内心毒気吐く。
以前、酔った自分を運んだ時は、もっと乱暴だったくせに。
荷物みたいに運んだこと忘れてねぇからな。
スケコマシ。
ムッツリスケベ。
アルコールが廻り、動きが鈍くなった頭で考えられる限り罵倒してやる。
その間に、見慣れた扉の前に到着し、シーザーが鍵を開けた。
やはり、無理しても逃げれば良かった。
開かれた扉の向こう。
二週間前まで生活していた部屋は、全くと言って良いほど変わっていなかった。
未だ残るジョセフの私物を入って早々見つけてしまい、唇を噛みしめる。
新しい恋人の影でもあれば、諦めもついた。
期待せずに済んだ。
もしかして、迎えに来たのではないか。
だから、こうして連れ帰ったのではないか。
都合の良い方にばかり考えてしまう自分が嫌だった。
ベッドに座らされたジョセフは、ジッと床を見つめていた。
シーザーの心が分からない。
「気分はどうだい?」
酒で気分の悪いフリをして黙り込んでいると、下から覗きこまれる。
「テキーラ?」
甘さと棘を含んだ声。
真っ直ぐな眼は、ジョセフを見つめていた。
とっくにバレてたってことかよ。
眸には、怒りの色が滲んでいた。
一方的に別れを突き付けて飛び出したことを怒っていたのだろう。
追ってこなかった奴が、自分を棚に上げてんじゃねぇよ。
だんまりを決め込むジョセフに、シーザーが殊更優しく問い掛ける。
「無理やり連れ出したことを怒っているのかい?」
白々しい。
「そりゃあ…ねぇ。シーザーちゃんこそ良いのかしら?」
ジョセフが正体を明かすまで茶番を続けるつもりか。
「一緒に暮らしてる誰かが居るんでしょ?」
ならば、こちらも奴に合わせるだけだ。
揃いの備品の数々を指差して、恋人の存在を指摘するジョセフ。
「その子…きっと、哀しむわ」
眸を伏せて、駄目だと拒絶する。
哀しむも何もお前じゃあないかと呆れるシーザーの声が聞こえるようだった。
さて、どう出る。
いい加減にしろと声を荒げるだろうか。
それとも、謝ってくるだろうか。
「君はまるで、俺が最も愛する人を知ってるかのように話すんだね」
敵も中々に手強かった。
そう切り返してくるか。
「知らないわ」
知るわけがない。
自分じゃない。
対するジョセフも、知らぬ存ぜぬを突き通す。
「変なことしたら大声出すわよン」
迫るシーザーをかわそうと足を振り上げるも、あっさりと止められた。
酔いが廻った状態では、力負けするのは当然だ。
「君に酷いことをするはずがないだろう」
足首を掴んだ男は、甲の部分にキスを降らせる。
ピッタリと肌に張り付く感覚が嫌で、ストッキングもタイツも履いていなかったのが逆に仇となった。
思わず悲鳴を上げそうになった口を慌てて抑える。
肌を舐めながらジョセフを見上げるシーザーは、不敵に口端を持ち上げる。
「君へのプレゼントだ」
その彼が懐から取り出して見せたのは、小さな小瓶。
馴染みの無いそれが、女性の爪を彩るマニキュアと呼ばれる化粧品であること。
赤ワインを思わせる色がテキーラに似合うと思って用意したこと。
シーザーは簡単に説明するなり、ジョセフの足の爪にマニキュアを塗り始めた。
何が楽しくて男の足を彩るのだろうか。
上機嫌なシーザーに、ジョセフは眉を顰めた。
マニキュアを潜ませていた時点で、全て仕組まれていたということだ。
ジョセフが女装してあの店に居ることも含め、シーザーは知っていた。
既にバレているだろう確信はあったものの、やはり面白くない。
マーキングのつもりかよ。
化粧品を使うあたりキザたらしい奴だ。
「次は、こっちの足だ」
上手く出来ただろうと言って見せられたジョセフは、返事に困った。
斑やはみ出しも無い出来栄えに、誰かで練習でもしたのかと勘繰る。
仮に、シーザー自身の足で試していたらマヌケだな。
慣れた手つきで作業をぼんやり眺めているうちに、反対の足も塗り終わっていた。
綺麗だとうっそりと語る男。
確かに、真っ赤な爪は白いシーツによく映えた。
けばけばしい印象のそれが色っぽく見えたのは、シーザーも同じみたいだった。
足を持ち上げて、再び口づける奴の眸は熱っぽい。
「愛しい人。今度は、これに似合うヒールをプレゼントしよう」
ジョセフへの当て付けだろう。
女物を贈るなんて。
「その次はドレスだ」
服を贈る意味を知っているかと聞かれても、答えてやらない。
好きな色を尋ねなくても、知っているくせに。
「薬指にピッタリの指輪も用意しなければならない」
別れた恋人にってか。
笑わせる。
「花束を忘れていたね」
止めろ。
もう止めてくれ。
甘過ぎる声と言葉に耐え切れなくなり、ジョセフはシーザーの口を押さえつけた。
「愛を囁く相手が違うんじゃない?」
厭味たっぷりの発言に、口を押える手を跳ね除けた男が肩を竦めて首を横に振る。
「誰よりも愛しているのは、ひとりだけさ」
未だテキーラを演じようとするジョセフの姿をシーザーはどう見ているのだろう。
意地を張って動けなくなる自分を。
滑稽だと憐れんでいるのだろうか、それとも。
「じゃあ、これは浮気ね」
ジョセフがそう言えば、シーザーは眼を細めた。
まるで、些細な抵抗すら可愛いというかのような眼差し。
「意地の悪いことを言わないでおくれ」
額と額を合わせて、仕方ない子だとくすくす笑うシーザーに悔しさがこみ上げる。
全部お見通しか、コンチクショウ。
分かっていて、尚も口調と態度を崩さないあたり性質が悪い。
上等だ。
最後まで乗っかってやろうじゃあないか。
ジョセフは、シーザーの胸倉を掴むと、シャツにべっとりと口紅を塗りつけてやった。
「本命に怒られたら良いわ」
捨て台詞を吐き、彼の頬や首筋にも同様にキスマークを残す。
明日、テキーラという偽りを脱ぎ捨てたジョセフの姿で何と言って責め立ててやろう。
きっと、奴は砂を吐くような甘い睦言を繰り返すのだろうけれど。
一度は別れた相手なのだ。
再び、愛の告白を聞くのも悪くないかもしれない。
シーザーの背中に手を回し肩口に噛みついたジョセフは、艶やかに微笑んだ。